松沢呉一のビバノン・ライフ

低劣なパターナリズムによる擁護は本人のためにもならない—パクリで自己破滅していく人々[ボツ編2]-(松沢呉一)

内容のない勝海麻衣を擁護する内容のないインタビュー—パクリで自己破滅していく人々[ボツ編1]」の続きです。

 

 

 

インタビュアの問題

 

vivanon_sentence前回見た片岡秀彦・東北芸術工科大学教授のインタビューはインタビューをしたライターにも大いに欠陥があります(ライター名は未掲載)。

 

 

勝海氏が出演しているイヤホンのCMにも視聴者から否定的な声が上がり、彼女自身が2020年の東京五輪や銭湯イベントのために捏造されたアーティストではないか――などと、個人攻撃にまで発展している。

この件で、勝海氏だけが矢面に立って叩かれている現状には、違和感を覚える。この舞台裏には、勝海氏を「美人銭湯絵師」や「学生アーティスト」として担ぎ上げた複数の関係者がいるはずだが、彼らはいっこうに顔を出さない。そもそも、なぜ勝海氏は神輿に乗せられたのだろうか。

 

「勝海氏だけが矢面に立って叩かれている」という文章の前に、イヤホンのCMが叩かれ、東京五輪がらみで代理店が背後にいるみたいな話が出ていることを書いています。「勝海氏だけが矢面に立って叩かれている」わけじゃないことを自ら書いているのです。なんなの、この文章。論理だの整合性だのがきれいに欠落しています。

CMはこちら。

 

 

 

 

私としては「そんなもんはスポンサーが決定すればいいし、不快な人は買わなければいい」と思うだけです。これに対する反応もざっとチェックしましたが、見た範囲では、行き過ぎている感じでもない。「打ち切りにしろ」と言っている人もたしかにいますが、それよりもただの不快感の表明やどうするのか気になるといった意見が多い印象です。

この場合は匿名的な扱いのモデルとしての出演ではなく、クリエーターという扱いのため、観ると数々のパクリが連想されてしまいます。「コピーしているだけで、クリエイトしてないじゃないか」と突っ込みたくなる人が出るのは当然です。

 

 

原則として著作権は著作者が所有するのだから、著作者が第一に責任を負う

 

vivanon_sentence法人著作でなければ著作権は個人の権利です。その責任も個人にあるのが原則。小説に盗作があった場合でも、第一には著者が責任を負いますし、著者が叩かれます。勝海麻衣はあそこまで稚拙な盗用をしたのですから、「他にもやっているに違いない」と探られるのは当たり前。

小学生や中学生ならともかく、個人が叩かれるのは当然です。それがわからないのだとしたら、権利はどこにあるのかを認識していないためでしょう。

もちろん、他の人々に一切の責任がないわけではなく、本や雑誌であれば版元はそれについての見解を表明し、回収なり絶版なりにして責任を果たしておしまい。版元、具体的には担当編集者や校閲が事前に著作権侵害があることを察知するには限界がありますから、著作権侵害があることをわかっていた場合やそれをやらせたような場合を除いては、その責任は限定的にならざるを得ないものです。

勝海麻衣についても同じでしょう。すでに確認したように、大塚製薬はすみやかに盗用だったと認めると読める見解を表明して、盗用作品の公開をやめています。ちゃんと責任を果たしているじゃないですか。それ以上どうしろと。

それ以降も逃げを打ってなおのこと叩かれる契機を作ったのは勝海麻衣その人です。著作権侵害をやったのは彼女ですし、一ヶ月の間盗用を認めなかったのも彼女。これ以外でもパクリをやり続けてきたのも彼女ですから、批判されるのは当たり前。

 

 

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