松沢呉一のビバノン・ライフ

煙管から紙巻き煙草への移行と母性保護の影響—時事新報社刊『たばこ』(昭和6年)より[下]-(松沢呉一)

若い女の喫煙は青踏社時代から始まった—時事新報社刊『たばこ』(昭和6年)より[上]」の続きです。

 

 

三宅やす子の反発

 

vivanon_sentenceたばこ』の三番目の女性参加者は小説家の三宅やす子です。彼女は「婦人の喫煙」と題された話をしています。

 

二三年前のことです。或る百貨店の婦人休憩室に行って煙草を吸はうと思ったら灰皿がない。灰皿を持って来てくれと申しますと、婦人休憩室では煙草を吸ってはいけませんから喫煙室に行って下さい、と追払はれた事があります。女の人は煙草を喫まないものだと頭からきめて考へてゐるのか、煙草を吸って休ませるのがよいか、煙草の煙をなくして婦人を保護するのが良いのか、煙草を吸う人には、吸わせぬやうにして保護するのがよいのか、私に云はせるなら一服吸って休ませて貰ひたいものだと思ひます。(略)

「昔は女の人も大変煙草を吸って居たやうですが、煙管から巻煙草になってからといふものは、ずっと吸う人が少なくなったらしいんです。併し働けば働く程煙草が欲しくなるんですから、女とか男とかいふことはないと思ひます。

 

 

煙管から紙巻きに移行した時に女性の喫煙者は減ったのだと。

平野亮平・専売局長官の話によると、1832年のトルコとエジプトの戦争の際に初めて紙巻煙草が出てきたとのこと。さほど歴史は古くないのです。それまでは水パイプを皆が交代で吸い合っていたのですが、それが狙われて、水パイプの器具も粉々になったために、個人個人が持ち運んで吸うことができる紙巻きが発明されました。

1954年のクリミア戦争では紙巻きが普及して、これが平時にも使用されていきます。

戦時の煙草として男たちの間に広がりつつも、外出しない店の主は相変わらず煙草盆を使えるので煙管を使っていて、女も同様。吸わなくなったのではなく、紙巻き煙草に移行しなかったのではないかとも思えます。

紙巻きを吸うのは知的階層の「新しい女」たち。欧米ではフラッパーたち。

 

1920s dinner dress found photo print ad

 

 

女の喫煙を忌避する風潮

 

vivanon_sentence三宅やす子の発言内に「煙草の煙をなくして婦人を保護するのが良いのか、煙草を吸う人には、吸わせぬやうにして保護するのがよいのか」とあって、この頃には煙草は体に悪いという認識も浸透していたことがわかります。本書でも、何人かが喫煙は体に悪いという話に触れています。

とくに子どもを生む体の女にはよくないという考え方が浸透していって、あばずれ、玄人、不良、フラッパー、新しい女などを除いては、外で吸うための紙巻煙草は広がらなかったのでしょう。吸うとしたら野良仕事の合間か、煙草盆のある場所での煙管です。

してみると、「新しい女」によって女の飲酒、女の喫煙は拡大されつつ、母性保護が強まっていくにしたがって、矯風会のような禁酒団体に利用されて、女の飲酒、喫煙は押さえこまれていったということか。婦人運動内でも母性保護派は強かったので、結局、自身で自身を抑えこんでいった結果になったようです。

 

 

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