松沢呉一のビバノン・ライフ

「グローバルダイニングに対する東京都の時短命令は違法」判決の重要性—全体主義体制における賢い生き方[付録編]-(松沢呉一)

全体主義体制における賢い生き方」の付録編です。

 

 

 

グローバルダイニングが東京都を訴えた裁判の判決

 

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グローバルダイニングが営業時間の短縮を命じた東京都を相手に裁判を起こしたのは前に見た通り。昨日、東京地裁でその判決が出ました。

東京都の営業時間の短縮命令は違法、しかし、憲法違反とまでは言えず、過失も認められず、賠償請求は棄却という判決です。

十分に過失があると私には思えますが、時間短縮には防疫上の効果があるとした無責任な専門家がいたために、それに従った東京都には過失なしということらしい。専門家が「死ね」と言ったら死ぬのか。と子どもじみたことを言いたくなります。

グローバルダイニングの長谷川耕造社長そこが納得できず、即座に控訴を決定。

高裁で、「時短命令は違法だ」との判決まで覆されないかとの危惧もありますが、ともあれ地裁判決で、「必要性のない命令をやってはならない」との教訓を引き出せたのはよかったんじゃないでしょうか。当たり前のことですけど、世の中には「専門家の言うことはつねに正しい」と思い込んでいる役人や政治家がいるのと同時に、「お上のやることは無条件に正しい」と思い込んでいる人たちがいますから、その考え方がいかに危険かを認識するには大いに意義がある判決だと思いました。

「コロナ禍でかいま見えた全体主義指向」という話はこのシリーズの最後にやろうと思っていたのですが、東京地裁の判決が出たので、軽く先に触れておくことにします。

※2022年5月16日付「朝日新聞デジタル

 

 

コロナ禍で浮上した全体主義指向

 

vivanon_sentenceこのシリーズは全体主義体制下では、国民は国のやることに従うようになり、自分から国家の姿勢を肯定し、全体主義的施策を求めていくようになっていくことをロシアを素材にして見ていくものです。つまり、「反対したくても反対できない」という側面と同時に、「反対しようと思わなくなる」という側面が全体主義を作り出すのです。

しかし、「ロシア人はバッカでえ」という話ではありません。「ロシア人はバッカでえ」はそれ自体正しいかもしれませんが、同時にどこの国でもそういう人たちはいるのだし、人間には広くそういう指向が備わっているとも言えます。「人間はバッカでえ」なのです。だから、そうならないようにするにはどうしたらいいかを考えるのもまた人間なのですが、それを考えられない人たちがいて、考えられなくなる条件もあります。

ごくごく近いところで言えば、全体主義への強い指向がパンデミックの恐怖と不安の中で浮上したことを我々は目撃しました。目撃しただけでなく、自身の内部からそれが湧き上がってくるのを実感した人もいるでしょう。

「皆が同じでなければならない」という考えをもとに、それを政府や行政が国民に強いることを是とする。皆がPCR検査をし、皆が営業を自粛し、皆がつねにマスクをし、皆がワクチンを接種することが好ましいと考える。糞忌々しいです。

それぞれすべての人や法人に強いる必要性がある場合はあり得るでしょうけど、現実にはそれらはすべて個々で判断すればいいことでしかないと私には思えていました。個人に委ねることで、感染が拡大するのだとしても、失ってはいけないものがあります。民主主義であったり、自由であったり、権利であったり。

「ビバノン」を読んでいる方は理解していると思いますが、一貫して私はそういう人々に対抗してきたつもりです。

※1ヶ月ほど前に潰れた中野の老舗天ぷら屋。コロナ禍と関係しているのかどうかは不明

 

 

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