松沢呉一のビバノン・ライフ

日本の風俗産業が細分化されている理由—ドキュメンタリー映画で語った日本の風俗産業[4]-(松沢呉一)

日本のルールと夫婦のルールが風俗産業を成立させる—ドキュメンタリー映画で語った日本の風俗産業[3]」の続きです。

 

 

日本の性風俗が細かく分類され、サービス内容も分類されている理由

 

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監督の質問のひとつに、「なぜ日本の性風俗は細分化されているのか」というものがありました。

たとえば米国のエスコートガール(コールガール)でも、個人の売りは違っていたりしますが、ポータルサイトの色に合せて、あるサイトでは女王様を売りにしていても、別のサイトでは色っぽさを売りにしていたりして、「あらゆる客に対応できること」が客を増やすことにつながっていて、「性交なし」のエスコートガールはほとんどいないでしょう。

いずれにせよ、米国においては、店という存在はほとんどの州で違法なので、日本のように店が細分化されていること自体が奇異に見えるのだろうと思います。

これは法規制の違いで、オーストラリアのいくつかの州やニュージーランドでは、個人による売春も管理売春も合法。ドイツ、オーストリア、スイス、オランダなどでは売春は合法、なおかつ場所貸しという方法による飾り窓も合法、しかし管理売春は違法。

対して、日本では売買春自体には罰則がないながら、そうとわかっていれば店も場所の提供などで罰せられますから、店では性交以外のところでそれぞれに特性を出すしかなく、売春がなされるとしても個人対個人によるものという体裁をとるために、いくらか複雑になっています。

性交がデフォルトのサービスになっている国では、それ以外のサービスはさして問題にならないのに対して、日本では、それ以外に重きがあります。

売防法と風営法のかねあいとともに地域によって条例も違い、警察の運用も違うため、地域差が生じていて、ソープランドのある地域とない地域とがあったり、ソープランドがあっても本番のない県があったり、マーケットの大きさによって、SMクラブのある地域とない地域があります。

ただ、日本の特性が法によってのみもたらされたものなのかどうかははっきりとはわからないところがあります。性交がデフォルトだったはずの赤線時代でも、フェラチオ専門で人気を得ていた店が存在していて、もともと日本では性交以外ところに価値を見いだしていた可能性も否定できません。

※おっパブの巨大看板

 

 

ルールに従う客たち

 

vivanon_sentenceいくつかの要因がありそうですが、やはり日本的なルールが業態や店舗単位の売り出し、サービスの細分化を生んでいるとも言えます。

私が体験取材ものの連載をやっている時によく言われたのは、「松沢さんが書いた通りにやりたがるお客さんが多い」ということでした。また、基本サービスとして書かれていることは全部したがるお客さんが多いという話もよく聞きました。

乳首がまったく感じないのに、乳首なめがコースに入っていると、それもやって欲しがる。乳首が感じないことは一回やってもらえばわかるんだから、「それはしなくていいよ」と飛ばしてもらって、自分の好きなことをしてもらった方がいいと思うのですが、そうはならない。サービスとしてできることは全部して元をとりたいのです。

寿司屋で頼んだ竹コースにはウニが入っていて、ウニはあんまり好きじゃなくても、出てきたら食べますわね(あくまで例です。私はウニが好きですが、通風になりやすい体質なので、最近は積極的には食べないようにはしています)。ウニより安い穴子の方が好きなので、「ウニの代わりに穴子にして」と言えば、店も喜ぶかもしれないですが、なかなか言えない。それと一緒か。

 

 

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