松沢呉一のビバノン・ライフ

30年前に谷村新司さんに教えられたこと—何事もほどほどに-(松沢呉一)

 

ビニ本への愛を語ってくれたインタビュー

 

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谷村新司さんが亡くなったのか。

 

 

今から30年近く前、谷村さんが司会をしていたテレビ番組に私も出ていて、私の出番は一コーナーだったため、番組内で谷村さんと直接絡むことはなかったのですが、すごく気さくな人で、収録の合間にどこの馬の骨とも知らぬ私にもよく話しかけてくれました。

そこでの雑談から発展してインタビューをしたこともあります。谷村さんのビニ本コレクションについて聞いたものです。

若い頃にラジオで頻繁にビニ本のことを話していたため、当時のファンにはよく知られているのですが、収録現場でこの話をしている時に「その話を改めて聞かせてくださいよ」とお願いしました。改めてインタビューで語るのは初めてだと言っていたはず。「オレも紅白に出ているからさ、普通だったら断るんだけど、松ちゃんの頼みだからな」と受けてくれました。紅白云々は偉ぶっているんじゃなくて、笑いをとるフレーズです。

あの頃、私はムチャクチャ忙しかったこともあって、番組のことはあまり覚えておらず、合間の雑談も内容はまるで覚えていないのですが、ビニ本のことしか聞いていないインタビューのことは鮮明に覚えています。ビニ本について語っているのにドラマがあって、ロマンチストである谷村さんの人柄がよく出ているのです。

番組が終わってから接点はありませんでしたが、あの頃、谷村さんはテレビのレギュラーを何本か抱え、中国でも人気が高まって、たびたび訪中しており、そんな中で、あのインタビューができた幸運を今は噛み締めるのみです。

 

 

収録の合間が楽しかった

 

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谷村さんのことを考えていて、少し思い出したことがあります。

低予算の番組だったため、収録は局のスタジオではなく、制作会社のチープなスタジオだったように思います。スタジオというか、普通のオフィスビルの空きスペースのようなところ。

私は楽屋がなく、谷村さんの楽屋はたぶん会議室で、楽屋にいてもつまらないので、皆のいるところに出てくることがよくあったんじゃなかろうか。局のスタジオに比すと緊張感がない場での収録だったがためにお気楽に話せたのだろうと思います。

インタビューも改めて時間をとってもらったのではなく、収録の前か後か合間にその会議室でしたのだと記憶します。

そういう前提はあったにしても、ビニ本について話したわけで、ジャニーズ事務所の疑惑についても話せないわけではない。実際に谷村さんと話した記憶はないですが、私が関わっていた他の番組の合間に話したことはあったんじゃなかろうか。

私が鈍感なだけかもしれないけど、電波にのせることはできないとしても、合間の雑談でも触れてはいけないテーマという感覚は私にはありませんでした。

 

 

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