園まり・天野天街・渡辺勝・門倉有希・唐十郎ほか—本年5月から9月までの訃報巡り[後編]-(松沢呉一)
「酸欠少女さユり・大宮イチ・ユズキカズ・松岡正剛・田中美津・園まり—本年5月から9月までの訃報巡り[前編]」の続きです。
芸能人の死
7月26日には園まりが亡くなってます。急性心不全。
なんの接点もないのですが、子どもながらにきれいだなあと思っていて、ふとした拍子に思い出すことがあります。今見ると愛らしさも色っぽさもあります。死ぬまで独身だったんですね。
子どもの頃にテレビに出ていた芸能人の訃報は、知人が亡くなるのとはまた別の感慨があります。こっちは小学生ですから、あっちは年上であることは確定しているのですが、大人になってから知り合った人は自分とともに年齢を加えていくのに対して、テレビで見ていて、以降見かけなくなった芸能人はそのまま時が止まっているので、訃報を聞くと、意外な思いにとらわれます。
80歳でしたから、田中美津、松岡正剛とほぼ同じ。なんかしっくりこない。やっぱり芸能人の年齢は進行が別枠です。
天野天街と表現者の死
7月7日には劇団「少年王者舘」主宰の天野天街が亡くなってました。享年64。死因は癌。まだ若いと言い張ることもできますが、私とほぼ同世代ですから、自分のことを考えても死に時ではあります。ただ、現役で演出家として活躍していたので、惜しい感はあります。
「少年王者舘」の公演を観た後、確か打ち上げで天野さんと話したことがあります。何を話したのかまでは覚えてません。天野さんもつげ義春フォロワーの一人でした。
9月、8月、7月は漏れなく面識のある人が亡くなっていましたが、6月は誰もいませんでした。不作月。
しかし、6月30日に元はちみつぱいの渡辺勝、6月6日には演歌歌手の門倉有希が亡くなっていました。どちらも残した作品にはいささかなりとも思い入れがありますから、その死に重みを加えます。ザバダックの吉良知彦が亡くなった時に号泣したことを書きましたが、それはもっぱら作品が導いた涙でした。
酸欠少女さユりに思い入れがある人たちの悲しみは想像しやすい。しかも、機能性発声障害を克服すれば、今後も作品を長い間世に提供したはずですから、喪失感が強い。若いってだけでも悼ましさが醸成されますが、表現物が失われることは生身の人間が消えることと同程度、あるいはそれ以上に悲しみを掻き立てることがあります。
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