【無料記事】コラム 李良枝没後30年に寄せて
作家・李良枝さんが亡くなってから30年。共同通信の依頼で李さんの著書『由煕』について短いコラムを書いた。すでに各紙への配信も済んだので、ここにあらためて掲載する。
没後30年の集い。歌あり、踊りありの楽しいひと時だった。
『由煕』とことばの杖
目覚めた瞬間に試される。彼女はそう思った。最初の一声。自分の口から漏れるのは日本語の「あ」なのか、それとも韓国語の「ア」なのか。どちらでもいい。掴(つか)んだことばを杖(つえ)にしたい。なのに、掴むことができない。
韓国に留学した在日韓国人の由熙は、日韓のはざまで揺れる。母語と母国語がせめぎあう。心が引き裂かれる。それは、自身は何者かと問い続けた李良枝の姿でもあった。
「由熙」(講談社)が芥川賞を受賞したのは1989年。月刊誌「文芸春秋」に掲載された「受賞のことば」に、彼女はこう記した。
「強く、温かく、たおやかな息づかいを、私は二つの言語の響きの中に感じ取る。/今からなのだ、と思う。/生き行くためのことばの杖。血のうねりの只中で、その厚みを得ていくことができれば、と願っている」
当時新米の雑誌記者だった私は、語彙(ごい)の乏しさからくる引け目を隠そうと、借り物のことばで水膨れした記事を書いていた。だからこそ、ことばの杖を必死に追い求める李良枝の息遣いに、私はみぞおちを打たれたような痛みを覚えた。
その3年後、李良枝は37歳の若さで世を去った。
今年は没後30年。命日にあたる5月22日、コリアンタウンとして知られる大久保(東京・新宿区)で、記念の集いが開かれた。みなで歌い、踊り、早世の作家をしのんだ。
大久保は作家時代の彼女が過ごした街だ。数年前まで毎週末、この街はヘイトデモに襲われていた。人間の尊厳を傷つけるためだけの言葉が響き渡った。いま街はK-POPファンの女性であふれている。だが、嫌韓の時代が終わったわけではない。醜悪な言葉は生き続ける。他の街で、ネットの中で、政治の世界で。
杖がほしい。差別と偏見と憎悪に満ちた空虚な言葉を蹴散らすような、ことばの杖を掴みたい。命日の夜、酔った頭で「由熙」を読み返しながら、私は強く願った。
安田浩一(ノンフィクションライター)