「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

虐殺から100年目 韓国の遺族を訪ねて 

■韓服だけが入るお墓

 田畑の間を縫うようにつくられた舗装路は、村のはずれで途絶えた。人家も見当たらぬそこから先は、雑木が茂る細い山道だった。いわゆるけもの道である。

 行く手を阻む枯れ枝を両手で払い、背丈ほどに伸びた雑草を踏みつけて、山の奥に進む。金糸のように流れる澄んだ小川を飛び越えたその先で、急に視界が開けた。

 丸く盛り上がった土饅頭の墓が、山の斜面のわずかなスペースにつくられていた。このところ続いた長雨のせいで、お椀型の土饅頭に土砂が流れ込み、微妙に形を崩していた。


土饅頭(お墓)

 韓国・慶尚南道の山間の小さな村である。ソウルから高速バスに揺られて居昌(こちゃん)という町まで約3時間。そこからタクシーでさらに30分以上を走った場所が村の中心部だった。遠くに智異山を望み、その向こう側は全羅道である。

 公共交通の路線網から外れ、コンビニもないこの集落を、私は7月半ばに訪ねた。


村の中心部

 私を墓まで案内してくれたのは曺光煥(ちょう・くぁんふぁん)さんだった。この村で米作や大豆栽培などの農業を営んでいる。

 真夏の太陽がじりじりと照り付ける中、曺さんは墓を指さして言った。

「祖父の墓です。でも、中に祖父はいません。祖父が若いころに着ていた韓服が入っているだけです」


けもの道を進む曹光煥さん

 曺さんの祖父、権承(くぁんすん)さんは、30歳の時に日本で殺された。1923年、関東大震災の直後である。

 日本に出稼ぎに出ていた権承さんは、東京都内で自警団に襲われ、「朝鮮人だから」という理由だけで虐殺された。

(残り 2961文字/全文: 3607文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ