中学までは全国未経験も、愛知から世界へと羽ばたいた髙田真希【TAJIの女バスコラム第1回】
髙田真希をはじめてしっかりと見たのは、彼女が高校2年生の夏だったと記憶している。名門・桜花学園高校の一員としてインターハイに出場していたが、このときはエースでセンターの3年生・服部直子(元デンソーアイリス)のバックアップとしてコートに立っていた。
3年生となった翌年にはガードの佐藤詩織(元アイシン・エィ・ダブリュ・ウィングス/現アイシン)らとともに活躍。インターハイ、国民体育大会、ウインターカップの3大会を制して『3冠獲得』に大きく貢献した。
先にも挙げたように、全国から実力者が集まる桜花学園の中で全国大会とは無縁だった髙田。では、いかにして激しいポジション争いに勝っていったのだろうか。
「うーん。ポジションを奪うっていう感覚にならないぐらい何もできなかったんで」
そう笑ったあとに続けた言葉がまた興味深い。
「性格的に人見知りだとか、人前に出たくない、注目を浴びたくないというところがあったので、(練習中に)何もできないと怒られるじゃないですか。その人前で怒られるのが嫌なんですよ。プライドとかではなく、もう恥ずかしい。私が先生に怒られたことで練習が止まってしまうので、レベル高い桜花の中で、自分がレベル低いことで怒られるというのが絶対に嫌だったんです。だから、とにかく同じポジションの人がどういう動きをしてるのか見て、それをひたすらマネしていましたね」
とにかく必死に練習をしていたら、スターターになっていたという感覚だったそうだ。
また、彼女が発した「人見知り、人前に出たくない、注目を浴びたくない」という言葉にも、少し違和感を感じた人もいるかもしれない。
なぜなら、テレビ番組に出演すれば軽快なトークを展開し、バスケットを広めるためにと自ら会社を立ち上げて様々な活動を行うなど、現在の髙田は人見知りだとは感じさせないからだ。むしろ、メディアへの露出が多くなった東京オリンピック以降は、人見知りとは真逆のイメージが強い。
しかし、高校時代はというと、やはり本人の言葉のとおり、人見知りとまではいかないまでも、前に出る選手の一歩後ろにいた印象があった。もちろん、当時から取材ではこちらの質問にも的確に話をしていたし、写真撮影の際は後輩にちょっかいを出すなどいたずらな面も垣間見せていたのだが、どちらかといえば、寡黙なタイプのようにも見えた。
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