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ホームタウン推進グループ地域推進担当 濱口泰志「ブレックスと地域の間に入って“明るく”繋げるという大事な仕事」インタビュー【無料記事】

スポーツでみんなを元気に明るく

―仕事をする上で、その他に心掛けていることはありますか。

やっぱり幼稚園や小学校や自治会などいろいろな場所に伺う立場なので、常にブレックスの代表として現場に伺っているということを意識しています。一緒に行くチアの担当もしているので、「僕らがブレックス代表として行っているんだよ」ということは常に伝えています。僕が暗いとか、何か失礼なことをしてしまうと、「ブレックスは失礼だ」という感じ方をされてしまうと思っています。「スポーツでみんなを元気に明るく」というのがベースだと思うので、それを地域に出ていった時にも体現できるように心掛けています。

 

―やりがいはどの辺りに感じていますか。

一番強く感じるのは、いろんな方々が応援してくださることです。幼稚園や小学校に行って「ブレックスを知っている人?」と声を掛けると半分以上が「知っています!」と返してくれますし、「アリーナで観たことがある人?」と聞いても、たくさん手が挙がります。僕に向かって「応援しています!」と言ってくださったりもするので本当にうれしいです。だからこそ、この地域との輪をつなげていかなければという想いが深くなっていきます。小さな子どもたちに「バスケットは面白いよ」「ブレックスって楽しいでしょ?」ということを何度でも伝えて輪を広げていきたいと思います。

ホームタウン活動の一つに「街中ブレックスプロジェクト」というものがあります。街をブレックスで染めようというプロジェクトなのですが、野球でいう広島カープのようなイメージです。街に出ると広島カープのロゴや赤い何かがたくさん掲げられ、街全体が一緒に盛り上がるきっかけになっている様子をみて、ブレックスでも目指したい姿だよね、というところからスタートしたプロジェクトです。

今はJR宇都宮駅の大通り沿いの街路灯や、JR宇都宮駅の2階のペデストリアンデッキの街路灯にブレックスのフラッグを掲げさせていただいています。開幕直前にはスポンサーの栃木銀行の窓口の方々や、地域のスーパーの方々に黄色いTシャツを着ていただき、一緒に開幕を盛り上げてもらうということもやってみました。街全体を黄色に染めていくのは面白いし、気持ちがいいものですね。

 

―オリオン通りも結構フラッグが出ていますよね。

おかげさまでオリオン通りの中でも多く掲げていただいています。サポートショップという制度があって、登録していただいた飲食店やお店にポスターやのぼり旗をお送りし、一緒に街を黄色に染めていくことをやっています。あとは地域の体育館などでブレックス関連のものを展示するスペースを増やしてもらったり、ボールや選手のサインなど展示できるところを提供してもらったり。

今は、地域貢献活動の一環で小・中学校にバスケットボールやビブス、バスケや体育で使うようなものを寄贈して、それをみんなに使ってもらったらうれしいなと思い、そういったことができないかと模索しています。もちろん、僕らの力だけでは寄贈はできないのでスポンサーの皆さんのお力も借りながらできたらいいですね。

 

―濱口さんはとてもエネルギッシュだなあという印象です。仕事とは関係ないところで聞いてみたいのですが、趣味や興味があることなどを教えてください。

趣味でいえば、めちゃめちゃ筋トレをしています(笑)。筋トレはずっとやっています。

 

―さすがフィットネスクラブ出身ですね。体が資本ですからね。

実は、2年前ぐらいに筋トレをやりすぎてしまったことで腰のヘルニアになり、手術をして皆さんに大迷惑をかけたことがありました(笑)。でも今はもう復活したので大丈夫です。あとは読書が好きで本はたくさん読みますね。

 

―どういうジャンルを読むのですか。

小説でいえば、東野圭吾さん、伊坂幸太郎さんが好きです。あと推理小説も好きです。僕の出身高校は「文武両道」という学校の校訓があって、運動も勉強も両方をバランス良くやることが僕自身にも染みついているところがあります。バランスを取りながらいろいろとやる。どこかに振り切るというよりも、満遍なくいろいろやる。僕自身、いろんなことをやりたい性分なんです。ホームタウン活動も楽しいし、試合の演出をやるのも楽しいし、チームに求められればなんでも「すぐやります!」と言ってしまいます(笑)。

 

優勝パレードと優勝報告会は「やり切った!」

―ブレックスでの3年間で一番印象に残っていることがあれば教えてもらえますか。

やっぱり昨シーズンのリーグ優勝した時の優勝パレードです。優勝が決まった後、警察署や商工会議所、市役所など、いろいろな方々と連絡を取り合って調整させていただき、やっとあのパレードが実現できました。優勝パレードが終わってそのまま清原体育館で優勝報告会をやって、その時にいろいろな市町の首長さんに来ていただき挨拶をしていただきました。僕がメインの担当だったので優勝してから1週間ほどはバタバタでした。

あの時の優勝パレードはすごく晴れましたし、何万人という人が来てくださって、ブレックスは愛されているなとあらためて感じられ、本当に感無量でした。僕自身は市役所担当だったので市役所側でずっと待機していまして。そのまま優勝報告会に行って、ファンの方々や市町の首長さんたちと「おめでとう」と盛り上がって、それらが終わって撤収した時に、「ああ、やり切った!」と思いました。

 

―私も優勝報告会に行って感動したのが、本当にたくさんの市長さんが来られる中で、皆さんがしっかりと試合をご覧になっているんだなと感じたことでした。ある市長さんは「僕はあの時にトイレに行っちゃったのであのシーンを観てないんだけど」とおっしゃっていて、皆さん、実際にリアルタイムでご覧になっていたこと、それを自分の言葉で話されていたのが印象的でした。これも普段から地域の方々と良い関係性を築けているからこそなんじゃないかなと思いました。

ブレックスをすごく大事にしていただけていますし、すごくありがたいですよね。「宇都宮や栃木という名前が全国で広まって本当にうれしかった」という言葉もいただいて、皆さんが心の奥底から出てくる感情を率直な言葉にしていただいているのが伝わりました。そういうことがこの仕事をやっていて良かったなあと思う瞬間です。

 

宇都宮ブレックス 濱口泰志さん

 

 

 

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