久保憲司のロック・エンサイクロペディア

セイント・エティエンヌ 『フォックスベース・アルファ』 –現実なのか、未来なのか、過去なのか分からないポップ・アルバムの傑作。これを聴いて嫌なことを忘れてください

 

AIの時代になって何が現実で、何が夢か分からない時代になるとたくさんの人が嘆いていますけど、僕は人間なんて、ずっと夢の世界に生きてきたのだから、別に何も変わらないよと思うのです。

映画館に行けば1時間半(今だと3時間ですけど)、嫌なことを忘れさせてくれます。

僕がゾンビ映画などの血がドバッと出る映画が嫌いなのは、現実の世界がそうなのだから、なぜ無理して嫌なことを体験しに行くのだろうと、思うのです。

それとも現実の世界はゾンビ映画のようじゃないと思っているのですかね。

映画もそうですが、音楽をかければ嫌なことをすべて忘れることが出来ます。ただの逃避かもしれませんが、ちょっとくらい夢をみさせてくれよ、です。

セイント・エティエンヌの『フォックスベース・アルファ』はまさにそういうアルバムです。

異国のラジオから始まるのは、フランス人にとっては異国じゃないでしょう。でもどこか過去のラジオのようであり、今はどうか知りませんが、このアルバムがリリースされた1991年のフランスのラジオはこんな感じで時代遅れでした。

どこの国も一緒ですけど、大企業がやっているメディアってなんかいつも時代遅れです。

でも特にフランスは古かったような気がします。既得権益が強かったのでしょうね。だから海賊放送から雑誌アクチュエルの支援などを経て成長したレディオ・ノヴァのような画期的なラジオ局が生まれたのです。

日本で言うと、j-wave、fm802が生まれた頃と似ています。この頃、どこの国のラジオ関係者も危機感を持っていたのでしょう。)まさにそういうことなのだと思います。j-wave、fm802も結局普通のラジオ局になりましたけどね。レディオ・ノヴァみたいに左、リベラルな風にはいかないです。日本もフランスと同じくらい学生運動が激しかった国なのですけどね。しかもフランスより先に学生運動が盛り上がっていたのに。

このイントロは、旅行している時の気持ちを再現しているのでしょう。もしくは過去へのタイム・スリップ、そして、その過去は僕たちの過去と違うパラレル・ワールドの世界のようなのです。

日本みたいな完全な異国じゃなく、近い国のフランス、でもジャケットがあんな抗議しているジャケットだから心を68年にフランスに飛ばしてくれます。ゴダールの「勝手にしやがれ」「はなればなれに」の頃のパリにいるかのような錯覚を与えてくれます。「勝手にしやがれ」「はなればなれに」は5月革命より何年も前なのに、なぜか革命の息吹を感じるのです。

 

 

でも、パリの5月革命の若者があんなプラカード持っていたかな。どちらかというと、アメリカの感じがします。

そして、流れてくる音楽は今だとブレイク・ビーツ、レイブなビートにのったニール・ヤングのカヴァー「オンリー・ラブ・キャン・ブレイク・ユア・ハート」。ニール・ヤングの歌にはどこか学生運動の夢破れたほろ苦さをいつも感じてしまいます。

これは夢の世界の話なのです。彼らが理想とするポップの世界。

88年からこのアルバムがリリースされる91年まで、みんながエクスタシーで頭がボケボケになっていて、「これって、サマー・オブ・ラブみたいだよね」って、経験したことないことを体験しているように思っていたのです。この頃、キャンディ・フリップがビートルズ「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」、ザ・スープ・ドラゴンズがザ・ローリング・ストーンズの「アイム・フリー」(この曲65年なのですが、不思議とサマー・オブ・ラブを予感するような曲ですね。)などの68年のサマー・オブ・ラブにリンクしたような曲をカヴァーしてヒットさせたのも同じ感覚でした。

 

 

「アイム・フリー」は65年なのですが、不思議とサマー・オブ・ラブを予感するような曲ですね。この曲はザ・バーズのボブ・ディランのカヴァー「ミスター・タンバリンマン」を意識して作られた曲だからですかね。前に書いたかもしれませんが、「ミスター・タンバリンマン」というのはボブ・ディランがアシッド・パーティーをやって、その中で、これからこんな未来がやってくれると、ハメルーンの口笛吹きをやった歌です。どんな未来かといいますと、ドラッグをやった若者たちが何百万人もパレードする(ウッドストックに行く)未来が来ると見えた歌なのです。ミック・ジャガーもボブ・ディランが言おうとしていることを理解していたのです。

 

 

『フォックスベース・アルファ』が、2009年『フォックスベース・ベータ』とアップ・デートされた時のジャケットも、完全に今風にせず、なんか70年代ぽくも、未来にも見えるような感じのジャケットで、今度はトリフォーの近未来SF映画『華氏451度』のワン・シーンにも感じられます。この映画は全体主義に管理された未来の話なので、こんなシーンあるはずはないんですけどね。でもこのジャケット見て、セカンド・サマー・オブ・ラブも失敗に終わったなという悲しい思いがよぎるのです。

 

 

 

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