久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ザ・ティアドロップ・エクスプローズ『キリマンジャロ』 ジュリアン・コープは日記みたいに本当にたんたんと自分のことを歌うのが一番いい。側から見たら、気が狂っているようにしか見えないですけど

 

元ザ・ティアドロップ・エクスプローズのジュリアン・コープは面白い人だったなとよく思います。

ザ・ティアドロップ・エクスプローズのデビュー作「キリマンジャロ」は名盤で、セカンド『ワイルダー』に入っている「タイニー・チルドレン」はポスト・パンク史に残る一番の名曲です。

 

 

ザ・ティアドロップ・エクスプローズはヒット曲のアイデアの宝庫だったのに、ぜんぜん上手くいかなったです。「タイニー・チルドレン」なんか聴いていると、ティアーズ・フォー・フィアーズはザ・ティアドロップ・エクスプローズを雛形にしたんだろうなと思います。

そんな悲しいことは忘れて、あのパンクな時代にティアドロップ・エクスプローズなんてサイケな名前をよく考えたなと。ジュリアンが考えたかどうか知らないんですけど。

ビートルズにしても、リバプールの人は名前をつけるセンスが洒落ています。

全然サイケじゃないビートルズがサージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドなんていう一番サイケな名前を考えたのですから。本家のジェーファーソン・エアープレイン、バッファロー・スプリング・フィールド、グレイトフル・デッド、13thフロアー・エレべーターズなんかよりもめっちゃサイケでかっこいい名前でしょう。

 

 

ビートルズとしては、「サイケって、俺たちがモータウンとかのR&Bを変形させて作ったんじゃないの」なのに、「この頃、変な名前のバンド名多いよね」ということで架空のサイケ・バンドを結成したわけですけど。それが一番最高のサイケ・バンドって、本当にビートルズって何でも一番を取ってしまいます。

リバプールの人はずうっとそういうことを考えているんですかね。

元ザ・ティアドロップ・エクスプローズ、エコー&ザ・バニーメンのマネジャー、ビル・ドラモンドも、のちにコンセプトだけのバンド、The KLFを結成して、理論だけで、全英1位を取ってしまいます。そして、考えて、考えて、儲かった100万ポンド(約1億5千万円)を燃やしたりするわけですけど。

 

 

リバプールのシーンも元々考えているだけの人たちです。

イギリスでパンクが生まれた時も、「みんな行動や!」って、言っている時に彼らがやったことって、カフェでどんなバンドをやれば、最高のバンドになるかということを永遠に語りあっていたのです。

だから全員が「俺、天才やから」(と自分で思っている)みたいな人たちばかりなので、出来たバンドが全部スーパー・バンドみたいなバンドばかりなのです。ビッグ・イン・ジャパンとか、デフ・スクールとか、ティアドロップ・エクスプローズのジュリアン・コープとエコー・アンド・ザ・バニーメンのイアン・マカロックとワー!ヒートのピート・ワイリーがやっていたクルーシャル・スリーとか、クルーシャル・スリーとかこのネット時代になってもデモ・テープもライブも何もリークされないんですよ。本当にやっていたのかと、ただ頭の中だけのバンドだったのじゃないかと思います。まさにサイケ。

でも、これらのバンドから後にすごい人たちがどんどん出てくるので、本当に伝説なのです。

そんな中で、僕らの子供の頃は、エコー・アンド・ザ・バニーメンのイアン・マカロックと並び、ジュリアン・コープは神でした。

僕はパンクだったので、偶像崇拝をしてはダメなので、なんとも思わないふりをしていましたが。

あと、派閥がありまして、エコバニ派か、ザ・ティアドロップ・エクスプローズ派で、僕はエコバニ派だったので、一応ザ・ティアドロップ・エクスプローズは聴かないふりをしていました。

でもザ・ティアドロップ・エクスプローズのジュリアン・コープがバンドを解散してから、始めてのジョン・ピール・ショウをやるという時の放送は本当に興奮しました。83年の2月5日、今はネットで全部自分の歴史が分かるのがすごいですね。自分が何をしたのか、全部分かります。僕がロンドンに住み出して、始めて雪が積もった日でした。ジョン・ピール・セッションを録音して、僕はそのテープを聴きながら、雪が積もったロンドンの雪を歩きました。

その時の4曲は普通にYouTubeできます。

シド・バレットもぶっ飛ぶ、神のようなサイケな作品です。

ドラムはリズム・ボックスなのですが、それがいいのです。

 

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