松沢呉一のビバノン・ライフ

戦争の反省がないまま道徳でパンパンたちを貶めた戦後日本—『街娼 実態とその手記』を検討する[9](最終回)-[ビバノン循環湯 519] (松沢呉一)

もうひとつの街娼調査『街娼の社会学的研究』—『街娼 実態とその手記』を検討する[8]」の続きです。

 

 

 

情緒に流れる情けない研究者

 

vivanon_sentenceそれでも、この本の編著者である竹中勝男と住谷悦治は、実態をそれなりには見ているため、ある部分では正しく現実をとらえています。

竹中勝男は更生についてこう書きます。

 

 

たとえ国民の経済が再建され、産業社会が恢復し、雇用関係が正常化し、彼女らに労働機会が提供されても、彼女らは進んで正規の勤労に入ろうとしないであろう。このことは社会施設としての各種の保護所が彼女らの最低生活を保護し、職業教育をさずけ、仕事を探し与えてもそれをよろこばないことによっても理解できる。すきさえあれば脱走し、所謂自由を求めるのである。それは人たることの栄誉を葬り去る自由であろうと、悪疾と病弱にたおれることの自由であろうと、その自由について考え選ぶことをしない。それはさながら傷ついた小鳥がその翅の力を知らずに暴風雨の中に飛び立つ死への自由である。

 

 

まさにその環境にある自分を勇気づける言葉を期待していたであろう例の婦人もまた、情緒的な言葉でまとめられてしまうのですから、たまったもんじゃありません。馬の耳に念仏であります。

この文章を見ると、この人、本当は小説家か詩人にでもなりたかったんじゃないですかね。しかし、悪疾と病弱にたおれることも恐れず、死を賭しても自由を希求する、こういった人達の栄誉を考えることのできない人には、いい作品は書けないでしょう。『肉体の門』を書かないではいられなかった田村泰次郎の謙虚さを少しは見習うべきでした。

それでも、単に生活できないから、単に職がないから、彼女らは売春生活を選び取っているわけではないことをこの人はよくわかっています。[なまじっか生活保護法の適用を受けて扶助費をもらい、洗濯婦などをしてその日に追われながら生きるより、新しい積極的な人生への闘い]としての売春生活を選び取った人々がいたのです。

WILLIAM GOLDMAN Untitled, 1892 – 1900

※「ナチス・シリーズ」で、ナチス政権下で殺されかねない環境でもなお自身の自由を求めて闘った人たちがいたことを間もなく取り上げます。抵抗運動は、共産党だけのものではなく(共産党は早い段階で潰されてますし)、軍部の反ヒトラー勢力だけでもない。そうではない市井の人々の抵抗にこそ私は共感しますし、これらの抵抗は戦後のパンパンときれいに重なります。反ナチスのこの抵抗を担った層はざっくり「不良」と分類されるような若者たちですが、パンパンもまたその流れを汲む層であったことに注目していただきたい。自由を抑圧する社会で、なお自由を求める行動をとると不良になり、女は傷ものになります。そうなったものたちこそが称えられるべきです。

 

 

原因と結果としての現象を見据える目

 

vivanon_sentence続く住谷悦治の言葉。

 

彼女たちは更生せしめうるか、ということは、誰れしも問題とすることであるが、これにたいして、私は極めて消極的な考えしか有(ママ)ち合わせない。それは、けっきょくは、敗戦後の日本の一般的な社会的・経済的困難と混乱とが一掃されるか、社会組織の変革のないかぎり如何とも仕難いことであろう。

 

このあと、女性の地位を向上させ、低賃金を解消することなど、具体的な解決法を提示していて、この人は単に法律で禁ずる愚に陥ってはおりません。女の賃金は低いとして売買春攻撃をするような、ワケのわからない人たちとはさすがに違います(注)。しかし、敗戦後の困難と混乱がとっくに解消された今も、当時とさして変わらないであろう数の女たちが、性労働を選択する意味が、この人には決して理解できないことでしょう。

記の中には、不良グループに入っていた東京出身の20歳の女性の話が入っています。戦災で両親を亡くし、学校の友達のうたに厄介になります。その一家が北海道に行くというのでついていくのですが、青森ではぐれ、持っていた切符で単身函館へ行き。ダンスホールの人に声をかけられ、そこに世話になって、その[おぢさん]と初体験。

そのうちダンスホールに進駐軍がやってきたために、そこを出て料理屋で働きます。料理屋の人達が東京に行くというので一緒に東京へ戻りますが、東京にも頼りがないため、不良グループに入って、1年間、恐喝で生活。そのうち、仲間が次々と逮捕されて、彼女はなす術もなく駅にいるところを検挙されます。

売春はしていないのですけど、売春をしないで済んだのは恐喝をしていたからです。犯罪か売春かというわけです。

このように、如何にも戦後の混乱期らしい話もあって、なるほど、彼女はこんな時期でなければ、検挙されることはなかったでしょう。しかし、今の時代だったら、援助交際をしていたかもしれませんし、ヘルス嬢になっていたかもしれません。

選択肢のないところで辛うじて選択した人たちからその選択を奪ってどうするよ。売春を非合法にすることで何が解決しましょう。その原因を解消するしかないでしょうし、それでもなお性労働を選択したっていいのです。反道徳ということ以外に、なんの問題が。

WILLIAM GOLDMAN Untitled, 1892 – 1900

注:原文では「週刊金曜日」の読者の意見としてこれを出していましたが、原文が私もわからなくなっているので直しました。こういう人たちがいるんですよ。とくに糞フェミ。「女の賃金は安い。選択肢がないから売春をやっているだけで、自分の意思ではない」としてその意思を否定します。だったら選択肢を拡大すればいいのだし、売春もその選択肢として尊重すればいいだけでしょう。救いようがないくらいに頭が悪いのか、救いようがないくらいに道徳に頭を支配されている人たちです。

 

 

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