松沢呉一のビバノン・ライフ

サンフランシスコのマスク強制に立ち上がったアンチ・マスク・リーグ—マスク・ファシズム[付録 4]-(松沢呉一)

100年前のマスク強制—マスク・ファシズム[付録 3]」の続きです。

 

 

 

義務化してもつけたがらない人々

 

vivanon_sentenceサンフランシスコでは1918年10月17日にマスク着用が義務づけられます。罰金または懲役で、懲役は30日ですからけっこう厳しい。しかも、しっかり運用されています。

しかし、マスクはほとんど役に立たないとの情報が浸透していたため、マスクをしてもあごにぶら下げるだけの人々や煙草を吸うために穴を開ける人々が続出。

以下の写真がそれを見せています。

 

San Francisco gathering, 1918.

 

これも休戦記念日です。見渡す限りマスクをしていますが、口を出している人たちも見えます。形だけやっているのです。

しかし、不適切な使用として、これも取締対象でした。

 

 

アンチ・マスク・リーグ

 

vivanon_sentence感染がゆるんだために11月に規制が緩和され、マスク着用条例も廃止されますが、すぐにまた感染が拡大したために、1月に条例が復活。

これに対して1919年1月アンチ・マスク・リーグ(The Anti-Mask League)が結成されて、マスク強制条例の撤廃を求めます。

議長はエマ・ハリントン(Emma Harrington)という女性の平和活動家。アンチ・マスク・リーグは4,000人の会員を擁し、集会には2,000人が詰めかけ、中には医師やインフルエンザ対策委員会のメンバーもいました。

彼らは 「Sanitary Spartacansと呼ばれ(自らそう名乗ったのが始まりのよう)、「個人の自由の侵害」「民主精神の侮辱」として、法による強制に反対。私と同じ考え。個人でマスクをするのは個人の勝手であり、それもまた自由ですが、しないことも自由。した方がいい職業や立場もありますが、それは各職場、各コミュニティで義務づければいい。全体をそこに従わせる必要はない。

 

 

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