松沢呉一のビバノン・ライフ

ふたたびイルゼ・コッホ—V.E.フランクル著『夜と霧』[付録編5]-(松沢呉一)

アラン・レネ監督「夜と霧」もちょっとツメが甘い—V.E.フランクル著『夜と霧』[付録編4]」の続きです。

 

 

改めてイルゼ・コッホについて

 

vivanon_sentence一般には対ナチスの裁判は公正になされたということになっているので、連合軍による軍事裁判で認定された事実を事実としてとらえる立場を尊重はします。たとえばイルマ・グレーゼはサディストで、ジャーマン・シェパードを収容者にけしかけた、みたいな話を私は疑っていますが、それを事実だとする人たちを批判はしない。実際、イルマ・グレーゼはやっていたとしてもおかしくないですし。

イルゼ・コッホについて、『夜と霧』の解説者はこう書いています。

 

ブッヒェンワルトでは、収容者は石を抱かせられ、肥料の中で溺れさせられ、鞭で打たれ、飢えさせられ、去勢され、そして、輪姦されたりした。しかしそれだけではなかった。入墨をしている者は薬剤所に報告するように命令された。はじめは何故だか誰にも解らなかったが、この謎はやがて明らかにされた。その肌に入墨師の技倆を発揮したすばらしい彫刻を持っている連中は留置され、それからカポーの一人であるカール・ベイグスの命令による注射で殺されてしまったのである。

この死体は病理部に引き渡され、そこで皮膚をはがされて処分された。処理を終えた人間の皮は司令官の妻イルゼ・ゴッホに下げ渡されたが、彼女はそれでランプの傘やブックカバーや手袋を造った。

 

お前は見てきたんか。

この解説を書いた人物は『痛ましきダニエラ』でも読んで(英版は1955年、邦訳は1956年)、輪姦があったと思い込んだのでは? あの小説でも輪姦はなく、乱交ですけど、収容所内で輪姦があったというなら、誰が誰を?

『痛ましきダニエラ』じゃないとしても、それに類するパチモン、ことによるとナチス・ポルノが元ネタではなかろうか。

『痛ましきダニエラ』について書いたように、こういうウソはナチスの優生思想の厳密さを見失わせ、ユダヤ人がなぜ虐殺されなければならなかったのかの根拠を見えなくします。そんなもんは理解されなくていい、たた゜もう売れればいいのでしょう。

 

 

ナチスの裁判でも米軍事裁判でもニュルンベルク裁判でも証拠は出てこなかった「人の皮膚で作ったランプシェイド」

 

vivanon_sentence人の皮膚でランプシェイドを作ったとの話は未だに証拠は何もないことは人の皮膚を使ったランプシェイドは謎だらけ—収容所内の愛と性[19]で説明した通り。その現物を見たと証言する人はいても、信憑性には疑いがあり、事実だとしてもイルゼ・コッホが関わっていた証拠は出てきていない。英米軍の裁判で出てきていないだけでなく、戦中にナチスの軍事裁判にかけられた夫のカール・コッホの捜査でも見つかっていない。カール・コッホは死刑になっていますが、これは横領と殺人の容疑です。

そのため、ナチスの裁判では彼女は無罪になっていて、米軍の裁判では終身刑の判決が出ながらも、証拠がないとして懲役4年に減刑されていますが、バイエルン州の裁判で終身刑になっています。イルゼ・コッホが最終的に終身刑になったのは裁判所が世論に屈したためです。証拠なきまま終身刑にされました。連合軍の軍事裁判よりひどい判決で、連合軍の裁判を尊重するとしても、これは尊重できない。

 

 

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