松沢呉一のビバノン・ライフ

瀬戸内寂聴の訃報を機に自分の書いたことを読み直して感心した—『美は乱調にあり』をめぐって-(松沢呉一)

 

瀬戸内寂聴さんが亡くなった

 

vivanon_sentence瀬戸内寂聴著『美は乱調にあり』を面白く読めなかった理由—伊藤野枝と神近市子[瀬戸内寂聴編 1]」へのアクセスが昼過ぎから急増して、本日のPVトップです。どうしたんかと訝ったら、瀬戸内さんがお亡くなりになったのですね。

 

 

 

美は乱調にありについて4回にわたって書いていても、全然褒めていません。多数ある著作の中のひとつに不満を述べている「ビバノン」に来る人がそれなりにいるくらいに検索している人が多いのか、知名度のわりに瀬戸内寂聴やその作品についてさほど丁寧に論じたものは少ないのかどちらかわからず。前者が主で、後者も少しあるのかな。

どちらにしても、亡くなってから興味を持つより、生きている間に興味を持った方がよく、亡くなってから急に興味を持つ人はどうせ一瞬にして興味をなくすので、そんな人たちに向けて何か書いても意味がないですが、「瀬戸内寂聴著『美は乱調にあり』を面白く読めなかった理由—伊藤野枝と神近市子[瀬戸内寂聴編 1]」を読み直したら、「いいことを書いているな」と自分に感心しました。私はまだ生きているので、どこに読みどころがあるのか自分で解説しておきます。自画自賛であり、今までのおさらいですので、理解している人は読まんでいいです。

 

 

神近市子にとってのフェミニズム

 

vivanon_sentence神近市子にとっての青鞜社は、社会の視点ではなく、「私」の視点にとってのみ意味があったという我が指摘は、このところ書いていた「私フェミニズムそのものであったことを示唆します(「伊藤野枝と神近市子」と「田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり」は同時期に書いていたもの)。

神近市子が青踏社に近づいたのは自分自身のコンプレックスの克服を求めてのことでした。その意図はうまくいったとは思えず、「新しい女」を蛇蝎の如く嫌った津田梅子によって神近市子は青踏社から脱会させられることになります。良妻賢母主義を嫌った先進的な津田梅子ですが、その先進性はキリスト教道徳に裏打ちされたものですから、「新しい女」を認めるには至りませんでした。

神近市子が大杉栄に近づいたのも、大杉栄の思想に共感したのではなく、個の救済を求めてのことでした。伊藤野枝が大杉栄を通して、足尾鉱毒事件や労働運動へ傾斜し、社会の視点を獲得していくのと好対照に、神近市子の興味は大杉栄という個人に留まります。

結局、この関係が破綻し、戦後は公序良俗を求める道徳運動家となって、出版の規制や売春の禁止を求めていきます。この経緯を見てもわかるように、彼女は婦人運動家、つまりフェミニストになりきれなかった道徳家です。道徳家として自己を確立したのであって、彼女にとってのフェミニズムは思想ではなく感情であり、「社会の視点」ではなく「私の視点」でしか捉えられていませんでした。

残念ながら、美は乱調にありでは、伊藤野枝と神近市子の違いがどこにあったのかについてとらえにくくなっていました。史実に基づいていない虚構であれば、男と女のドロドロした肉欲と嫉妬が錯綜する物語として楽しめたかもしれないですが、現実に照らした時には神近市子の描き方が平板になっていたのが私にとっては面白みに欠けていたところです。そこは瀬戸内寂聴の興味ではなかったのでしょうから、ないものねだりではありますけど。

 

 

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