松沢呉一のビバノン・ライフ

たいした内容ではないながら、これまでの経緯から菅直人のヒトラー・ツイートに触れないわけにはいくまい-(松沢呉一)

 

 

菅直人のヒトラー投稿について改めて検討する

 

vivanon_sentence念のために言っておきますが、私は菅直人という政治家にとくに思い入れはなく、さりとてとくに反発もありません。また、維新に対しては全否定はしないながら、いかがわしさを拭えずにいます。そこんとこ、誤解ないように。

菅直人のヒトラー投稿についてはざっと読んで、積極的に擁護したい気にはならず、さりとて積極的に批判する気にもならない代物でした。

しかし、時代や現象をナチスと喩えることについてさんざん論じてきたこれまでの経緯から、無視することもできまい。時間が経ってしまいましたが、改めて検討してみましょう。

 

 

橋下氏をはじめ弁舌は極めて歯切れが良く、直接話を聞くと非常に魅力的。しかし「維新」という政党が新自由主義的政党なのか、それとも福祉国家的政党なのか、基本的政治スタンスは曖昧。主張は別として弁舌の巧みさでは第一次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす。

 

冒頭で橋下徹ら維新の弁舌を「歯切れが良く」「非常に魅力的」と持ち上げておいて、以降は党の方針が曖昧で、中身がないことを指摘して、最後に弁舌の巧みさをヒトラーに重ねることで落としています。

まず事実確認。ヒトラーが演説に長けていて、それによってこそ支持を拡大していったのは事実。しかし、中身がなく、ただの演説家としてのテクでそれを実現したかのような評価は正しくありません。この見方は「ヒトラーの詭弁に国民は騙された」という歴史観に基いていて、これ自体が間違っていることはさんざん指摘してきた通り。大多数のドイツ国民はヒトラーが何をしようとしているのか相当まで理解した上で支持したのです。

このコア部分があった上で、短いフレーズを断定的に繰り返す、決まりきった答えを言わせることで聴衆の参加意識を作り出す、といった演説のテクがありました。また、身振りや表情といった演出があり、それらの言葉を新聞や雑誌が報じ、ポスターにもなるなどの宣伝術が功を奏します。

大衆が熱狂したのは、そのテクや演出の部分であり、聴衆も同時につくりあげていった会場の雰囲気が人を動かしていったのだとしても、第一次世界大戦の雪辱を晴らし、失業率を下げ、東方生存圏を確保し、ユダヤ人を排斥するというヒトラーの政策を国民が支持したがための熱狂です。「私らがやって欲しいことをヒトラーはやってくれるのだ」と。

菅直人は「主張は別として」と書き、橋下徹の弁舌の巧みさのみを取り上げてヒトラーに重ねていますから、菅直人のこのツイートは「正しくない」とまでは言えないのですが、弁舌が巧みな政治家は過去にも現在でもいくらでもいますから、ことさらにヒトラーを持ち出すのはフェアではないし、橋下徹がヒトラーほどに大衆を熱狂させる演説家であるとは思えませんから、事実にも反しようかと思います。

 

 

私が反発する「ヒトラー揶揄」

 

vivanon_sentence私はこれまで、規制に反対し、ワクチンを強要することに反対する人々が、その状態をナチスの時代に重ねることを「矮小化」として葬ろうとすることを批判してきました(何を言っているのかわかりにくいでしょうが、具体的には「自身をゾフィー・ショルやアンネ・フランクに喩えただけで大臣や警察までが乗り出すドイツの怖さ–ポストコロナのプロテスト[70]」「ドイツにおける「コロナ対策をナチスに喩えること」への批判は杜撰すぎる—ポストコロナのプロテスト[71]」などを参照のこと)。

しかし、これには条件がつきます。

比喩表現を否定するドイツの暴論—ポストコロナのプロテスト[72]」に私はこう書いています。

 

私自身、安易にナチスやヒトラーを比喩に使うことにはしばしば反発を感じます。たとえば反安倍政権のデモで安倍晋三をヒトラーに見立てるプラカードがあった時にもそう思いました。独断的であることだけをもってヒトラーを持ち出すのは無理がある。独断的な人間はどこにだっていますから。それと、政治家の顔にチョビヒゲを書き足してヒトラーに模したり、額にハーケンクロイツをつけたりする表現は手垢がつきすぎて伝わらないってこともあります。

 

 

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