いよいよロシアはナチスドイツに似てきた—ナチスドイツを嫌って国外に出たユダヤ人たち-(松沢呉一)
プーチンから逃れるロシア人とヒトラーから逃れたユダヤ人
赤の広場でプーチンが4州併合の演説をするという話だったので、ステージに爆薬を仕掛けてすっ飛ばすといいなと思っていたのですが、プーチンの演説はおもにクレムリンの室内で行われ、ステージに登場したのはちょっとだけだったようです。爆薬を仕掛けてもいないのに、察知されたか。
世界中から笑われながらも、国内向けの茶番を堂々と行使するロシアは、どうしてもナチスドイツに重なります。ドイツは植民地を持たないために資源の確保ができない。そこで、東方に侵略する権利があるという生存権の主張は、ただのわがままであり、ロシア革命はユダヤ人によるものという決めつけはただの妄想ですが、当時のドイツ国民の圧倒的多数はこれを支持。アホです。
この滑稽さを今ロシアは再現しています。プーチンはヒトラー同様に、自分の負けを認められないでしょうから、死ぬ以外に道は残されていないのではないか。
それまでになおどれだけの犠牲者が出続けるのかを考えると憂鬱になります。日々数万人がロシアを出国しているのを見ても、「逃げられてよかった」だけでは済まない。
1933年、ヒトラーが首相に任命されてから、あれよあれよという間に独裁政権を樹立し、共産主義者や社会主義者を弾圧し、ユダヤを迫害するようになって、多数の人がドイツから脱出します。
著名な科学者や文学者は歓迎され、収入も得られたでしょうし、左翼の場合は一貫して弾圧されていたため、一度国外に出た人たちは、敗戦まで戻ることはなく、よその国で野たれ死んだ人もいたでしょうけど、ユダヤ人のホロコーストは第二次世界大戦開始後であって、ベルリンオリンピックまでは国際世論を気にして、ドイツはユダヤの迫害をゆるめ、なおかつ欧米列強はユダヤ難民の受け入れを拒否していたため、その数年間に、国外に出たユダヤ人が大量に帰国しています。
そのあと何が行われたのかを知っている我々としては、「どうして帰国したのか、国外で辛抱すれば殺されなくてよかったのに」と悔しく思うわけですが、今まで築いてきたものをすべて捨てて、国外に逃れて、言葉もわからない場所で一からスタートすることは難しい。金を持ったユダヤ人以外、各国歓迎していなかったですしね。
半年か1年くらいは貯蓄を食いつぶして生活できたとしても、あとは餓死するしかないとなったら、ひどい差別はあるにしても、まだしも言葉が通じ、知り合いのいるドイツの方がいいと判断したのは当然かと思います。
今ロシアから脱出している人たちも同じです。うまく仕事を見い出せる人は一部。一生食っていけるだけの金がある人はいいとして、あとの人は帰らざるを得ない。
その可能性があることがわかっている人は顔を出さない。
※ユダヤ難民を拒否したエビアン会議について書かれた記事に添えられた写真。詳細は書かれていないですが、ドイツから脱するユダヤ人たちか、ドイツに帰国したユダヤ人たちでしょう。
「永遠にロシアに戻らない」と宣言できる人は一部
メディアとしては顔を出してロシア政府やプーチンを批判できる人を欲しがるのは当然ですが、それができるのは一部の人たちです。
この家族が「永遠にロシアに戻らない」と宣言しているのは本気でしょう。だから顔も出しています。
この報道ではカットされていますが、あの家族はジョージア経由で、親戚のいるアルメニアに行くことが決まっていて、アルメニアでの仕事も紹介してもらえるかもしれない。だから、帰らない決断ができたのです。なかなかこうはいかないでしょう。
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