松沢呉一のビバノン・ライフ

2ヶ月遅れのPANTAさんの訃報—高校時代に聴いたラジオの思い出-(松沢呉一)

 

中尊寺ゆつこの名前がなぜか頭に浮かんだ

 

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数日前、道を歩いている時に、中尊寺ゆつこの名前が頭に浮かびました。亡くなって以来、この名前を思い出したのは初だと思います。存在を思い出したというより、最初は名前を思い出して、あとから「亡くなったんだっけな」と追加した感じ。金閣寺や浅草寺のことを考えていて、寺つながりで中尊寺が引っ張りだされて、中尊寺ゆつこに至ったとか、そういう流れは一切なく、ただ中尊寺ゆつこの名前がいきなり出てきました。

何かのパーティで見かけたことはありましたが、話したことはなく、その作品にもまったく興味がありませんでした。亡くなった時も「へえ」で終わっていたのに、なんで思い出したのかわからず。

歳をとると誰もがそうなるのか<、私だけなのか知らないですが、亡くなった人のことをよく考えるようになりました。しかし、同じ人のことを繰り返し考えても、新しい情報が入ってこないため、思い出せることには限りがあります。そのため、思い出す人の範囲が拡大していき、「ああ、そんな人もいたよな」という死者のことも考えるようになります。その先に中尊寺ゆつこが出てきたのかもしれない。

2週間ほど前、PANTAさんが亡くなったことを知りました。亡くなったのは7月7日だったので、2ヶ月ほど遅れています。時間差で訃報を知るのはいつものこと。

前から書いているように、訃報で動揺するのは「面識がある人」あるいは「その作品や業績に思い入れがある人」です。面識がある人でも、最後に会ってから時間が経っていると、死の衝撃が薄れることは言うまでもなく、作品や業績に思い入れがある人でも、その時期から時間が経っていると同様に薄れます。

中尊寺ゆつこはどちらでもなく、見かけたのも今から30年くらい前になります。PANTAさんも似たり寄ったりです。何度か見かけたことはありますが、ステージを生で観たことはない。挨拶程度でも言葉を交わしたことはない。頭脳警察にせよ、ソロにせよ、代表的な曲は知ってますが、レコードなりCDなりを買ったことは一度もなく、アルバムを通して聴いたこともない。

頭脳警察のTOSHI(石塚俊明)さんの方が接点があって、PANTAさんではない人たちと共演しているライブを何度か観ていますし、参加しているレコードやCDも何枚か買っています。

PANTAさんは中尊寺ゆつこと変わらない程度の接点なのに、PANTAさんの死は中尊寺ゆつこの死とはまったく違っていて、「へえ」では済みませんでした。

※「頭脳警察3

 

 

「俺の声が聴こえるか」で始まるラジオ

 

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PANTAさんの曲で私がよく覚えているのは「つれなのふりや」です。

 

 

中学生から浪人生にかけて私は毎日ラジオを聴いていました。高校時代だったと思いますが、PANTAさんのラジオもよく聴いていました。

放送局の区分としては午後11時からが深夜枠のはずですが、リスナーの私としては1時から、あるいは12時からが深夜放送という感覚があり、その前の11時台に、PANTAさんの番組が流れていました(収録ものだったので、地域によって放送日や放送時間は違っていたでしょう)。短い番組で、 15分とか20分とかそんなもん。30分だったかもしれないけれど、あっという間に終わる印象です。月曜日から金曜日の帯番組で、PANTAさんの出番は週一だったんじゃなかろうか。

そのオープニング曲が「つれなのふりや」でした。冒頭の「俺の声が聴こえるか」という歌詞がラジオにピッタリでした。

PANTAさんの代表曲としては他に「マラッカ」がありますが、この曲もこの番組で流していたような気がしますし、そこそこレコード会社(たしかビクター)は力を入れていたので、他の番組でも流れていたはずです。

 

 

 

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