目的は金か、正義の実現か、自己顕示か—煉獄コロアキ(杉田一明)の逮捕で引っかかる点[前編]-(松沢呉一)
煉獄コロアキの逮捕について
今朝、煉獄コロアキの夢を見ました。コロアキは「不起訴だったよ」と、喜ぶでなく、反省するでなく、淡々と教えてくれました。
知り合いでもなんでもないのに、なんでそんな報告をしてくれたのか知らないですが、夢だからしょうがないです。
せっかくなので、取り上げる予定がなかったコロアキ逮捕についてやっておきますか。
任意で取り調べをやって、証拠が固まったところで逮捕ってことで、たいていの人は「ざまあ」ってことでしょうけど、なんかちょっと引っかかるのよね。言うまでもなく、夢に出演してくれたから、お礼に擁護しようなんて気はサラサラなく、逮捕されて当然であり、有罪になってしかるべきと考えますが、この報道の仕方や世間の人の受けとめ方は、危ういものがあると思ってます。
以下、本名である杉田一明ではピンと来ないので、以下、煉獄コロアキで統一します。
私人逮捕系YouTuberの危惧
この逮捕が私人逮捕系YouTuberや世直し系YouTuberに対する抑止になることが期待できる一方で、逆にこの騒動はコロアキを増長させ、真似る人が出かねないのではないかとの危惧があります。
私人逮捕系YouTuberや世直し系YouTuber、あるいは迷惑系YouTuberの動機としてほぼ共通するのはYouTubeからの収入と、自己承認欲求でしょう。そのバランスは人によって違いそうですが、世直し系YouTuberには、「世のため人のため」「被害をなくす」「社会正義の実現」みたいなお題目があります。建前に過ぎないとしても。
これに対して、迷惑系は「人の迷惑になることをしてでも目立てればいい」「社会正義に反してもいい」ということですから、向きが逆です。
もともとコロアキは迷惑系であり、「こんなことをして目立っても満たされず、人に喜ばれ、賞賛されるようなことをやろう」と改心して私人逮捕系に転じたのであれば、頭ごなしで否定すべきではないかと思います。その場合は法律を調べ、私人逮捕の要件を知り、誤認逮捕が内容に配慮するってものでしょう。
それが娯楽として成立して収益になることも否定されるべきではないと思います。さもないと、新聞がやっていること、テレビがやっていること、雑誌がやっていることも否定されかねません。
しかし、コロアキの場合は、最近も埼玉県蕨市の立てこもり事件でNHKの取材現場に乱入していて、今なお「他人の迷惑になっても目立てればいい」という考えであることは明らかです。彼は統一教会本部前で裸になったことで逮捕され、執行猶予つきで有罪判決を受けているわけで、逮捕されること、前科がつくことを恐れていない。むしろ、その経験を逆手にとる知恵をつけていましょう。へずまりゅうと同じ。
(残り 1321文字/全文: 2565文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ