ミャンマーのパクリ曲に対するミャンマー人と日本人の反応の違いはどこから生じるか—文化盗用とパクリ[4]-(松沢呉一)
「ミャンマー版「Bling-Bang-Bang-Born」に見るパクリの意識変化—文化盗用とパクリ[3]」の続きです。
ミャンマー版「Bling-Bang-Bang-Born」が再度公開に
ミャンマー版「Bling-Bang-Bang-Born」を非公開にしたのは惜しいと思っていたら、再度公開されてました。
前回の文章も元通りに直しました。
YouTubeに対して通報が殺到して、非公開にしたと推測したのですが、違ったんかな。チャンネルは慌ててカバーの体裁を整えて、YouTubeの運営も「これは疑いなくカバー」と判断したと。それならそれで面白かったのですが、そんなクレジットは加えられていません。
非公開と復活の理由はわからないですが、炎上効果でまだまだ数字が伸びていますから、ミャンマー・ポップス史に残るヒットを狙えます。ただでさえ激オコのミャンマー人たちは、そんな恥ずべき事態をなんとしても避けるべく、今後、激しいバトルが展開されるのが見どころです。
なお、各国語版のカバーを集めた動画がTikTokに出てました。
https://www.tiktok.com/@karakuar_kkz/video/7351756492313333010
ミャンマーのはカバーとちゃう。オリジナルや。
しかし、ミャンマーの人たちは、この曲と「マッシュル-MASHLE」のOPアニメを組み合わせて、TikTokに多数投稿しています。ミュージシャン側がバレないと思ってやったのだとしたら針の筵ですが、バレるとかバレないとかと別次元の感覚かも。
なぜミャンマー人と日本人の反応は大きく違うのか
あくまで私の推測ながら、なぜミャンマーでは、あそこまでのわかりやすいパクリが成立し、同時になぜミャンマー人はああも反発したのかについて、前回説明しましたが、もうひとつの疑問はミャンマー人と日本人の反応がどうしてああも違うのか、です。
私自身、「完全にアウト、言い逃れ不可能」と思いつつ、それでも批判する気にならない理由を考えてみました。
第一にはおマヌケだからです。あの曲、あのMVはコミックソングです。原曲とは何の関係もない歌詞ですが、感触としては嘉門達夫が「Bling-Bang-Bang-Born」の替え歌をやったようなもん。実際にはパロディではないですが、パロディに文句をつける気がしない。国によってはパロディは合法ですし。
あれがもし「オレらはロックの伝説になるぜ」みたいなスカした見た目、アレンジ、MVだったら笑えず、一言文句を言いたくなったかもしれない。
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