正義を探し続ける「土曜日の母たち」 ルポ・在日クルド人の故郷を訪ねて(1)
イスタンブールの新市街中心部、イスティクラル通りは同市きっての繁華街だ。カフェやレストラン、ブランドショップが軒を連ね、昼夜を通して観光客でにぎわう。通りをひっきりなしに行き来するのは100年以上の歴史を持つトラム(路面電車)だ。ベルを鳴らしながら走る真赤な車体は、この街のシンボルでもある。
毎週土曜日、正午を過ぎたあたりから、この通りの一角に高齢の女性たちが集まる。
「土曜日の母たち」──いつのまにかそう呼ばれるようになった集会に参加するためだ。
東京でいえば銀座を連想させる観光名所である。週末の繁華街。当然、行き交う人びとは浮き足立っている。トルコアイス店の呼び込みや、トラムを追いかけ回す子どもたちの弾んだ声が華やかな街路に響く。
だが、「土曜日の母たち」がおこなわれる一角だけは、突然異世界が出現したかのように、重苦しい時間が流れていた。
集まった女性たちは誰もが沈鬱な表情を浮かべている。皆が両手でしっかり抱えているのは、我が子の写真だ。
トルコでは1980年代以降、治安当局に殺害されたり、拘束されたまま行方不明となってしまう市民が相次いだ。そのほとんどがクルド人や社会主義者だ。
参加者が手にした写真は、そうした弾圧の犠牲者たちなのだ。「土曜日の母たち」と呼ばれる集会は、家族を失った母親たちが、政府に対する抗議と、公正な調査を求める場として、1995年からほぼ毎週、続けられている。
この日も、突然に降り出した雨のなか、数十人の女性と支援者が集まった。
そのうちの一人、クルド人の高齢女性がマイクを持って訴えた。
「私は正義を探しています」
立ち止まる人はいない。無視するか、あるいはせいぜい一瞥する程度で、通りを行き交う人びとの多くは何事もなかったかのように週末の時間を取り戻す。
それでも女性の哀しみを帯びた暗い声は続く。
「きっと、どこかに正義があると信じています。でも、私はまだ、それを見つけることができないのです」
女性の息子は29年前(1996年)、治安機関に連れ去られて以降、消息を絶った。
首を長くして息子の帰りを待つ時期はとうに過ぎた。殺害されたことは間違いないと確信している。だが、それでも、いつか加害者が真実を明らかにしてくれることを信じている。そう願うしかない。「正義」信じることだけが、心の支えだ。
参加者の別の女性は、地元シルナック県(トルコ南東部のクルド人集住地域)で軍の治安部隊であるJITEM(ジャンダルマ情報テロ対策司令部)によって、息子を殺害された。1996年のことだ。事件当時の警察発表は、PKK(クルディスタン労働者党)がミニバスにロケット砲を撃ちこみ、11人の犠牲者が出たというものだった。ところがその後、この虐殺がJITEMによるものだったことが判明する。つまり、PKKを犯人に仕立てるための、治安機関による「でっち上げ事件」だった。欧州人権裁判所も有罪判決を下した国家犯罪であったが、トルコ政府はいまだ同事件に関する責任を認めていない。形式的な調査すらおこなわれていないのだ。
「土曜日の母たち」に集まる女性たちは、まさに「正義」を求めている。理不尽な弾圧によって失われた我が子や夫の無念を晴らしてほしいと訴える。
30年間、毎週土曜日、ほぼ休むことなく集会を続けているのだ。
当初は5人で始まったという。何度も警察の介入があった。催涙弾を撃ちこまれたこともある。逮捕者も出た。それでも女性たちはあきらめなかった。
一時期、殺害・失踪事件は国会でも議論された。1千人以上の行方不明者が確認されているのだ。
だが、当局は動かない。
「それがこの国におけるクルド人の立ち位置なんですよ。クルド人が犠牲となった事件は闇に葬られてきたんです」
集会主催者のひとり、人権協会のレマン・ユルトセバルさんは、わたしにそう説明した。
「クルド人であるというだけで、テロリスト扱いされるような状況が続いた。いや、いまでも続いている」
「正義」は遠い。
母親たちは老いていく。焦りと絶望だけが、からだに蓄積されていく。30年間、1千回にも及ぶ「土曜日」を越えて、蜃気楼のような「正義」を探す。
集会の最期、女性たちは、小銃を構えて警備に当たる警察官に向けて、一斉に花を投げた。
悲しみを理解してほしいという、せいいっぱいの訴えだった。花は警察官の胸に当たり、地面に落ちる。それを拾う者はいない。集会が終われば、誰かがそれを踏み潰す。怒りも悲しみも、イスタンブールの石畳に打ち棄てられる。
ところで集会が開かれている間、私がずっと気になっていたのは、明らかにその場の雰囲気にそぐわない「参加者」の存在だった。
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