愛知野球通信+

明治神宮大会で鮮烈デビュー!中部学院大 鈴木眞尋 投手にインタビューを行いました。

明治神宮大会に出場した中部学院大。

1回戦で日本体育大と対戦し、72と敗戦。急に寒くなった日の第4試合、60と試合もやや決まったような状況の6回表にマウンドへ上がった投手がその投球でスタンドをざわつかせます。

それが鈴木眞尋投手。MAX147kmのまっすぐで押し、1イニングで奪三振を2。四死球3で満塁とするも、0点で抑えるという、色々な意味で目立つ投球で全国デビューを飾った彼がどういう投手なのか、皆様にお伝えしたくて取材をいたしました。

鈴木眞尋投手は初のインタビュー取材とのことです。

◇プロフィール

鈴木 眞尋 (すずき・まひろ)投手

愛知県熱田区出身。中学では愛知東海ボーイズに所属。高校は福岡の九州国際大付属へ。大学は中部学院大に進学し、3年秋に公式戦デビューを果たす。181 80㎏ 左投げ 左打ち MAXは明治神宮大会で記録した147km。持ち球はカーブ、スライダー、カット、ナックル。

インタビューに答える鈴木眞尋投手

小学校3年から野球を始める。それまではスポーツをしたのは保育園でのサッカー教室に少しいったくらいで特に運動はしていなかったそうです。きっかけは、「少し年上の野球好きの友達とのキャッチボールです。その時にいい球を投げるね、と褒められて野球をやりたいと思うようになりました。」

そこから、叔父さんが昔所属していた白鳥ライジングという野球チームに参加。4年間白球を追って6年生まで主に投手、一塁手として活躍。様々な大会に参加する中、優勝や準優勝という結果を出し、声がかかって受けたセレクションで合格して名門の東海ボーイズへ入団。
ここでも投手・一塁手として活躍します。中学2年から3年にグッと身長が伸びて、中学3年生で178㎝。当時のMAX128km。チームの強さは「そこそこだった」と言いますが、強豪校への進学も視野に入ってくることに。
そんな中で進学先は九国大付。なぜ九州・福岡の学校だったのか。その理由を伺うと・・・。

「監督同士が知り合いというところでつながりがありました。自分には高校で野球をやるのに条件があって、絶対条件が寮生活であること。うちは片親(母親)でして、働いたりする関係上、毎日のお弁当作りや送り迎えが不可能。そういう理由もあり、寮生活となる九国大付へ進学することになりました。」

九国大付は福岡県の高校。寮で生活するからどこに学校があっても一緒だと思っていたが、「実際に学校に行ってみた時にこんなに遠いんだ、と実感しました(笑)。」ホームシックには、練習の厳しさもあって、「割とすぐにかかった」とのこと。そんな中でも同学年の20人の仲間と過ごしていくうちに徐々に解消していく。

高校でも投手兼一塁手。1年生秋には初めてベンチ入りをして、公式戦デビューも果たします。ただし、買われたのは打撃。一塁手での出場で野手としての起用でした。
練習試合では投手もしていたが、結局3年間の公式戦では野手での出場のみだったそうです。

九国大付では1年先輩に今年阪神からドラフト1位指名を受けた下村投手(青山学院大)がいました。
高校時代に一番衝撃を受けたのが紅白戦で対戦した下村投手だったそうで、「当時で149kmくらい投げていて、ボールが見えませんでした(笑)」。

鈴木投手は現在大学3年生。ということはコロナ禍で夏の高校野球大会が無くなった世代です。
当時の心境は、「ショックでした。それぐらいしか思い出せませんが・・・。ただ、割とすぐに切り替わったと思います」。独自大会は行われたものの、背番号は18。出場無しで高校での野球生活は終わることに。

大学進学は中部学院大となるわけですが、経緯としては関係者の方が見に来た時に目に留まったから。愛知県出身の鈴木投手からすると、お隣の岐阜県の大学となったわけですが、希望したのかと思いきや、「できれば関東とか関西とか、違う地区の大学に行きたかったのですが、お誘いが無かったから(苦笑)」中部学院大となったとのこと。

大学では投手一本。ただ大学でも出場機会はなかなか恵まれず、初めての公式戦出場は大学3年生の秋のリーグ戦となりました。

その要因はというと、「高校の頃から肘が痛くて。ただ、病院に行っても原因とか分からないため、治療もままならない。それでフォームも試行錯誤となり時間がかかりました。トレーニングをしつつ、痛くないひじの位置を探しながらのキャッチボールでフォーム固め。ようやく痛みがなくなって自信を持って登板できるようになったのが大学3年生になったころでした。」

それまでのMAXが高校の最後に出した141km。そこからようやくしっかりと投げられるようになった今年の春まではこの球速がMAXのままでした。それを更新できるようになって、自信も出てきた大学3年。それでも春は登板機会がなく終了。

飛躍のきっかけは夏のオープン戦。関東遠征に帯同し、日本通運戦に登板。その時の投球が素晴らしく、相手の選手からの高評価をうけて自信を掴みます。
3年生秋にリーグ戦にてデビュー。リリーフで登板経験を積み、東海地区の代表決定戦の最後の1人を任されて登板。この時に本人も「掴んだ」と感じたほどの手ごたえを得て、そこから三連盟王座決定戦での金沢学院大戦も好投をして明治神宮大会での快投につなげたとのこと。
神宮のマウンドは「楽しかった」と語ります。1イニングで出せるものは出そうと全力で腕を振った結果、MAX147kmをマーク。一躍ドラフト候補へ名乗りを上げることになりました。

神宮で快投を見せた。

来年は大学4年生。進路を考えるタイミングですが、目標は「プロ(NPB)一本」。プロを意識したのは明治神宮大会での投球を経た時、とのことですが、まだ課題があることも自覚。

「来年は長いイニングを投げられるようにしたい。150kmを出すことも目標の一つですけど、コントロールに課題があるので。球種としてはカット、スライダーに自信はあるが、落ちる球が無い。まだフォーム自体にばらつきがあり、リリースが安定しない事が原因だと思っているので、そこを固めて、長いイニングを任される存在になりたい」と語ります。

中部学院大は同じ3年生の投手陣が充実しており、その中での競争もありますが、「何とか結果を出して、リーグ戦で先発し、アピールしたい」と目を輝かせていました。

 

最後に監督である間宮監督の証言を記載します。

(間宮監督証言)

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