松沢呉一のビバノン・ライフ

この国ではヘイトスピーチ規制法など遠い夢物語-(松沢呉一) -4,013文字-

 

ルールの限界

 

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これも私が焼け跡時代に旅行している間にあった話ですけど、この発言はダメでしょ。味方であっても批判しておかなければならんです。

 

 

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上瀧弁護士は鍵をかけてしまったので、このスクショは、J-CASTニュースから借りました。J-CASTニュースだけを見てもわからないのですが、この議論の相手になっているにぬまさんの一連のツイートは至極まっとう。これで吹き上がってきたアホのネトウヨとはレベルが違う議論をちゃんとやっているので、読んだ方がいい。

私自身、さんざんメルマガ「マツワル」やFacebook、この「ビバノン」で論じてきたテーマです。

 

 

あり得ない法を夢想するのはもうやめよう

 

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「マイノリティからマジョリティに向けたヘイトスピーチは成立しない」「マイノリティからマジョリティに向けたヘイトクライムは成立しない」と言いたくなる気持ちは理解できるのですが、その定義を維持したいのであれば、法規制には反対すべし。

そんな法律は成立不可能ですし、そんな法律は世界中どこにも成立していないと思います。私が「よくできた定義」と繰り返し誉め称えている大阪市のヘイトスピーチ条例においても、「日本人は誰でも殺せ」はヘイトスピーチに認定されます。当然のことです。

こんな話は去年の夏にFacebookでまとめているので、それをまんま転載して終わりじゃ。

 

 

(ヘイトクライム法では)マイノリティからマジョリティへのヘイトスピーチも当然取り締まられるんですよ。これはアメリカのヘイトクライム法を見れば一目瞭然。http://www.jcas.jp/…/JCAS_Review_…/JCAS_Review_03_01_009.pdf 人口比で言えば、マイノリティからマジョリティの犯罪の方がよりヘイトクライム法が適用されているのです。ヘイトクライム法はマイノリティに厳しい法律と言うことも可能。

当たり前のことで、黒人が寄ってたかって白人を白人であるということで殺害した時に、この法律が適用されないのはおかしい。その範囲においては黒人がマジョリティですから。つまり、マジョリティ/マイノリティの区分は状況次第でしかない。また、アジアンとスパニッシュとアフリカンの間での犯罪において、誰がどうやってマジョリティとマイノリティを決定できるのでありましょうか。

ヘイトスピーチも同様で、人種的・民族的憎悪を煽る言葉が対象になり、それがマイノリティからマジョリティに向けたものであっても対象になり得ます。そこを無理して区分すると、マイノリティであることをいいことにヘイト垂れ流しにもなり、この不公平感で互いの憎悪も高まります。

たぶん野間易通によるヘイトスピーチの定義を鵜呑みにしている人が多いのだと思うのですが、あれは「なぜヘイトスピーチは許されないのか」を非対称の関係で説明したモデルであって、法規制の場面ではああもきれいに関係を定められるはずがない。

つまりは、ヘイトスピーチの範囲を宗教に拡大をすれば「創価学会の信者はアホばかり」だの「靖国神社を解体せよ」だのといった言葉が対象になり得るわけです。もっぱらイスラムへのヘイトを対象にしたものでしょうけど、現実にヨーロッパではヘイトスピーチの範囲に宗教を入れている国は存在します。

では、なぜマイノリティからマジョリティに向けたヘイトクライムがアメリカでは人口比より多くなってしまっているのか。不平等な運用がなされているためではなく、マイノリティには対抗手段が暴力と言葉しかないからです。マジョリティは「店に入れない」「家を貸さない」「就職させない」「就職させても不当に扱う」「気に入らなければ解雇する」といった方法がとれるのに対して、力のないマイノリティはその報復を暴力と言葉で果たすしかない。その対抗の暴力と言葉を、ヘイトクライム法やヘイトスピーチ規制法が取り締まるという関係になってしまっています。

となると、まず改善すべきは差別そのものなわけです。ネイキッドロフトでも説明したように、ヘイトスピーチは差別そのものとは違う。差別扇動です。ヘイトスピーチ規制法では、「店に入れない」といった差別そのものには対抗できないのです。それに対抗する差別撤廃のための法律については、あの時壇上にいた誰もが合意している。むしろそれを優先すべきではないか。

また、現在進んでいる民事の流れでは、これに対抗が可能になってきている。京都朝鮮学校襲撃事件ではわかりにくいので、「凡どどラジオ辞典」で「浜松宝石店入店拒否訴訟」の項目でも読むといいと思います。あ、まだ書いてないんだった。書かなきゃ。

ヘイトスピーチ規制法は、民事裁判の代用にはなりえず、力あるものが為す差別への対抗にはならない。その側面からも、1990年代末からの民事裁判の動きは注目すべきだし、この動きを加速すべきなのに、あたかもヘイトスピーチ規制法ですべてが解決するかのように思い込んでいるアホが多すぎ。もっと考えて、もっと調べて、もっと議論してから「ヘイトスピーチ規制法を」と言えよ。

という話をこれまで何度も書いているんですけど、なんの力もないくせに、なぜか自分が法律を作って自分が運用して、気に入らない相手だけを取り締まれると信じて疑わない連中は少しも聞きやしねえ。その果てに、権力者に利用されてやがる。どうにもならんわ。

 

ホントに聞きやしねえ。

 

 

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