なぜ「週刊金曜日」だったのか—心の内務省を抑えろ[11](松沢呉一)-2,450文字-
「「オカマ」が指し示す範囲—心の内務省を抑えろ[10]」の続きです。
最初から読んでいる方には説明不要でしょうけど、このシリーズは「ネトウヨ春(夏)のBAN祭り」シリーズからスピンアウトしたもののため、今回のように、時折祭りの写真が混じります。矢頭保(やとう・たもつ/メープルソープの写真集にも献辞が書かれているゲイ表現の先駆的写真家で、祭りの写真がよく知られる)的な路線の写真ではないので誤解なきよう。
「伝説のオカマ」以前
それまでにも「オカマ」をタイトルに使用した例はあります。野地秩嘉著『日本のおかま第一号』の発売は1999年。「伝説のオカマ」の2年前です。
新橋のゲイバー「やなぎ」のママを取り上げた原稿が収録されているためにこのタイトルになっているのですが、戦前から浅草には着流しの男娼がいて、そのルーツは江戸時代にまで遡れますし、Wikipediaにもあるように、ゲイバーは戦前から存在していたことはほぼ間違いありません。「ゲイバー」と名乗っていたはずはなく、ここでは同性愛者が経営し、同類の人たちが集まる店ってことですが。戦前の雑誌にそれらしき記述が出ているのを私も読んでます。調べ直すのが面倒なので記憶で書くと、私が読んだ店は京橋だか日本橋だかにあったんじゃなかろうか。
範囲を戦後に限っても、「やなぎ」のママは男娼経験がない人のはずですから、「日本のおかま第一号」という認定自体、どうなんか。だったら「湯島」のママの方が相応しいかも。その後の影響の大きさを考えても「やなぎ」が記録されるのはやむをえないとしても。
また、言葉の問題としても、この世代の人たちは「オカマ」という呼称を嫌う人たちが多いのに、第三者がこの呼称をこうもおおっぴらに使用するのはどうなんかと私は思いました。純然たる言葉の問題として、その呼称を自身が使用してきた一個人に向けた「伝説のオカマ」よりこっちの方が問題ありかと。
それでも私は抗議をするようなものではないと思いますが、「すこたん企画」の論理で言えば、これも抗議するに値しましょう。
しかし、現実には東郷健の自称に対してのみ抗議をしたはずです。「自分の目に触れる媒体だから」「信頼している媒体だから」ということだったかもしれません。すべてに抗議するわけにはいかないので、そういった事情でひとつが選択されること自体は非難に値しないと思うのですけど、ここでひとつの疑念が生じます。
「すこたん企画」が抗議したことの背景には語られなかった事情があったのではないか。
同性愛者のオカマ嫌悪
「すこたん企画」を離れた一般論として、同性愛者が「オカマ」と揶揄された時の不快感の中には、ただ「蔑称だから」だけではなく、かつて同性愛者たちがゲイポーイを嫌って、「ホモ」を自称し始めた時の心理と重なるものがありそうです。
トランスジェンダーと同性愛の違いがきれいには区別されていなかった時代があって、「男が好きなのは女になりたいからだ」という思い込みが社会にも自身にもありました。そうではないのだという自己認識が生まれて。「ホモ」という言葉が好まれるようになる過程で、ゲイポーイのように、ナヨナヨして、化粧をして、女装をして、女言葉を使うような連中と一緒にされたくないということになっていく。
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