松沢呉一のビバノン・ライフ

マスク率の上昇とマスク着用の店の増加—マスク・ファシズム[3]-(松沢呉一)

マダガスカルのCovid-Organicsに対するWHOの警告—マスク・ファシズム[2]」の続きです。

 

 

見る見る上昇していったマスク率

 

vivanon_sentence騒動が終わって考えるトイレットペーパー—新型肺炎(COVID-19)について触れにくい事情[8]」で、ニューヨークでは手袋をしている人が多いという記事を取り上げて、手袋率やマスク率を出さずに「多い」と書いたって意味ねえだろと苛ついたと書きました。

記事にするならもちろんそうしますが、記事にしなくても私はすぐに数を数える癖があります。「多い」だの「少ない」だのと感じる自分自身を信用しておらず、数を出さないと比較ができません。

ただ数えるだけじゃなく、「道の向こうから歩いてくる人が、連続5人マスクをしていたら死ぬ」という一人ゲームもよくやってました。死ぬのは私です。

2月はこれでよかったのですが、3月に入ると連続で死亡するようになり、10人に人数を増やしました。4月になると、それでも連続で死にます。非常事態宣言以降は、20人に増やしてもなお死ぬ。連日何度も死にまして、これ以上死ぬわけにはいかなくなって、このゲームはやめましたが、数日前にひさびさにやったら、10人でも死ななくなってました。少しずつマスク率が落ちてきているのです。

電車の中でも、非常事態宣言以降はほぼ10割になっていました。たまにはマスクをしていない人もいましたが、見渡す限りマスクをしている人たちばかりのこともありました。これも今は10割を切ることが増えています。

しかし、どんな時でも私をカウントに入れると、10割には届きません。私はコロナ時代に入って一度もマスクをしてませんから。咳が止まらなくなった時にいつでも出せるように持ち歩いていますが、必要になったことはありません。ずっとバッグに入れているため、10枚入りの袋が破れてきて、一度も使わないまま、最近新しいのを買いました。使わないマスクのリニューアル。

ここまではファシズムと関係なし。世の中にはマスク・フェチが多いってだけ。

いかに多くても、「マスクをしていない自分が恥ずかしい」とか「無言の圧力を感じる」ということは全然なくて、したい人はすればいいとしか思ってません。何で安心するかは人それぞれ。その代わり、しない私をほっといてくれ。どんな服を着るのかは個人の勝手。マスクをするのもしないのも個人の勝手。

 

 

マスク着用の店が増加

 

vivanon_sentenceただ、非常事態宣言以降はそれまでと違う展開が始まってます。

店の入口に「マスク着用」と書かれていることが増えてます。「できるだけマスクを着用するようお願いしています」といった書き方になっていると、そのためにわざわざバッグからマスクを出すのも面倒ですから、無視して入りますし、それ以上に強い書き方だと入らないようにしますが、ちょっとカチンと来ます。

スーパーで会話なんてまずしないのに、なんでそこまで強いられなければならないのかって話。

もちろん、意味はわかります。「当店ではそこまで感染を避ける工夫をしておりますので、安心してください」というアピールです。防疫上、意味があるかどうかは別にして、スーパー側が工夫するのは好きにすればいいのですが、客に強いるのはおかしい。

現実には店もそういうものとわかっていてやっていましょうから、マスクをしていないことで注意されることはなくて、また、近所のスーパーにちょっと買物に行くのにマスクしない人は当然いて、そういう表示が出ていても、マスクをしていない客は2割程度はいます。

しかし、ああいう表示をすると、客の中には、「あの客はマスクをしていない」と従業員にチクるのも出てきかねない。店が強い姿勢を出せば出すほど、それを頼りにして、そのルールに反するものを排除するようになります。考えることが嫌いな人は意味があるかどうかを考えなくなって、ルールに反しているってだけで堂々と文句を言うようになるのです。

ハイルヒトラーと敬礼するルールになっていると、意味がなくてもそれに従い、しない人をゲシュタポに密告するタイプです。

 

 

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