松沢呉一のビバノン・ライフ

コロナ禍で全体主義者の本性を露わにした人々—個人の自由は全体主義に負けがち[下]-(松沢呉一)

人々がこうも自由を求めているのに、なぜ自由は簡単に失われるのか—個人の自由は全体主義に負けがち[上]」の続きです。

 

 

ロシア人の独裁制の捉え方が的確

 

vivanon_sentence前回、あまりに読む人が少なくて、やる気をなくしましたが、気を取り直して、2回目を出しておきます。

以下は7月に「独裁政治についてどう思うか」を聞いた「ロシア人にインタビューしてみた」シリーズです。

 

 

「エルフ」の耳は身体改造なのかつけ耳なのかどっちか不明。日本にも身体改造で耳を尖らせているのはいますが、そのわりにはこの彼女の耳は大きすぎるような気も。もともと耳が大きいのかもしれないれど。

このシリーズに出てくる若いロシア人にはピアスやタトゥをしているのはよくいて、身体改造をしているのもいるでしょう。そういう自由はロシアにはありそうです。政治と無関係な個人の身体ですから。しかし、ロシアと言えばLGBTの弾圧が過酷な国で知られます。性も個人の領域だと思うのですが、その線引がどこにあるのかはよくわからんな。

プーチンの評価ではなく、一般論として答えられるので、エルフ以外はわりと皆さん正直に答えているように感じます。エルフはプーチンが嫌いと言いながら、さらに突っ込まれ、一瞬ためらったのちに、プーチン礼賛を始めて、「牢屋に入れられるぞ」と野次られています。褒め称えているのに。ロシアでは、触れること自体がタブーと化していることがよくわかります。あしやさんが解説していたように、ロシアでは政治については触れないのが国民のお約束。

少なくとも日本では、独裁は独裁者が国民の求めるところに反して自己の権力を強めて行使するイメージをもっている人の方が多いと思うのですが、ここでの回答ではそうとは言えず、肯定する人、否定する人のどちらも半分以上の人が国民の選択だと見ています。国民が「安定した秩序」「経済的発展」を願って独裁を生み出すのだと。

中でも「選択しなくていい楽さ」を求めることが独裁だとの指摘には強く同意します。すべて独裁者や制度が決定してくれ、独裁者や制度が解決してくれるのです。言いなりになりさえすれば楽ちん。そこにミスがあったら革命やクーデターで倒し、責任もすべて独裁者に負わせる制度です。「すべて独裁者のせい」にして終わらせられるのも楽。

この回ではないのですが、プーチンが消えても、国民は同じようなその特性に従って、政治家を選択すると言っている人がいました。「独裁は国民の選択」という考え方からすれば国民が変わらない限りそうなります。そして、国民はそう簡単には変わらないことは歴史が示しています。

 

 

コロナ後遺症は克服が困難

 

vivanon_sentence日本人も、戦前からの「右ならえ」体質を克服できていないことは、コロナ禍でイヤというほど実感しました。条件が揃えばあっさり全体主義に走る。「周りがどうあれ、個人で判断する」ってことがとことん苦手なのです。ここを克服しない限り、誰かに判断を委ね、誰かに従うしかない。

感染すると短期かつ高率で死に至るような感染症であれば、自由を制限するしかない局面もありましょうが、新型コロナはそれほどのもんではありませんでした。重症化し、死亡するのは、高齢者と基礎疾患のある人にほぼ限定されていましたから、そこに絞った対処ができたはずだと当初から私も言ってましたし、今もそう思っています。

その特性に適切な対処として、日本ではマスクの強要、営業停止の強要、ワクチンの強要は避けられたのが幸いです。危ういところはあったにしても、全体主義になりやすい日本人の性格を踏まえて、そちらに流れてしまわないような法律にしておいて本当によかった。

 

 

next_vivanon

(残り 1458文字/全文: 3050文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ