時代の変化から取り残されたフェミニズム—上野千鶴子の粗雑な論をありがたがるのはもうやめれ[4]-(松沢呉一)
「北原みのりが立場をなくす上野論—上野千鶴子の粗雑な論をありがたがるのはもうやめれ[3]」の続きです。
「かわいい」と「チャーミング」
今回はクレアさんのまとめを出していますので、しつこいですが、埋め込んでおきます。
批判対象は「上野千鶴子氏に聞いた」。
上野千鶴子は、人の見た目を評価することは全否定しなければならない悪行であると信じているようです。何しろ差別ですから。ホントにそうか?
女側が男と同程度にこういう発言をすることで平等を達したっていいじゃないですか。私はデート中に「あの女の子、かわいくない?」「一緒にいる男もかわいいよね」と言い合えるような関係の方がいいと思ってます。それを女が言える社会を求めたい。そんな関係は嫌だと思う人は、イヤな人同士でくっつけばいいとして。
もちろんマナーの問題として、それを言っていい場面かどうか、言っていい相手かどうかは気をつけましょう。
私はそう考えますが、上野千鶴子はまったく別の解決を提示しています。
「ジェンダー研究の世界では、“女だからかわいい”とか“男だから泣くな”のようなジェンダーに依拠した説明や解釈のことをDoing Gender(ジェンダーを実践する)と呼びます。逆にジェンダーに依拠しない説明や解釈をUndoing Genderといい、たとえば“キミは根性があるね”のように、男も女も関係ない言い方のことを指します。
女性のことを褒めたい時には、このUndoing Genderの言い方にすればいい。たとえば、“女子力が高いね”ではなく“気配りができるね”という言い方にするんです。“かわいいね”という言い方でなく“チャーミングだね”と言えばいい。美人というのは一元的な尺度だけどチャーミングという表現には多様性がありますからね。人によって意味合いは様々だし、男にとっても女にとっても最高の褒め言葉だと思いますよ」
「かわいい」と「チャーミング」の間に、そうも決定的な差がありますかね。どちらももっぱら見た目を評価する言葉ですが、顔の造作、スタイル、仕草、表情、ファッション、髪型に留まらず、内面を指すこともよくあります。「かわいい性格」となんの違和感もなく使いますね。チャーミングに多様性があるなら、「かわいい」も多様性を含む言葉です。
「かわいい」をはっきりと超えて「チャーミング」を使うことがありますかね。「彼女の企画力は抜きん出てチャーミングだ」「彼女の営業力は社内でもっともチャーミングだ」なんていう人がいるかもしれないけれど、そんなレアケースを持ち出すなら、「彼女の仕事っぷりはかわいい」と言う人もいましょうよ。
言葉がどう使われていのかもわからなくなっている上野千鶴子
上野千鶴子は「男は時代の変化に合わせて自分をアップデートしなければ、自分が不利益を被ることになります」と言ってますが、ご自分も言葉の感覚をアップデートしないと笑われるだけですよ。
上野千鶴子は「かわいい」は男が女を評することにしか使わない言葉だと思っているようですが、これも現実と違います。たしかに半世紀くらい前はそうだったかもしれないですが、現在では女も男を「かわいい」と評することは当たり前にあります。とくに若い世代はそうでしょう。
また、私自身、男に対しても「かわいい」を使ってます。これはゲイが男を「かわいい」と評することが多いのを耳にしているうちに私の言葉になりました。
ただし、「かわいい」はどちらかと言えば強い者が弱い者を評する時に使うことが多い言葉です。大人が子どもを評する時、人間がペットを評する時。そのため、私は「かわいい」と評する対象、言葉を発する対象を選ぶようにはしています。おもに10代、20代に向けていて、「あの男の子のケツがかわいい」とか。これもマナーの問題。
冒頭に戻って、立谷秀清・福島県相馬市長は芳野友子・連合会長に対して「今度の美人会長も楽しみにしている」と言ったことが問題になったわけですが、この時に「今度のチャーミングな会長も楽しみにしている」と言い換えたら問題にならなかったのか?
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