鳥山明がいなくなった世界で鳥山明について語り続ける人々—ステロタイプとデフォルメで成立する漫画やアニメ-(松沢呉一)
電車の中の熱い会話
昨日、電車の中で、40代と思われる3人組が熱を込めて鳥山明の話をしてました。私が電車に乗った段階では、もっぱらドラクエがテーマになっていて、「あの頃はみんな同じゲームをやっていて、同じ話題で盛り上がれて、いい時代だった」そうです。今はオンライン・ゲームで遠いどこかの人とつながれますが、クラスの中ではつながれないってことか。
きっと「ドラゴンボール」の話は、この前に3時間くらいしていたんじゃないですかね。彼らが小学生か中学生の時に洗礼を受けていましょう。この年齢で取り入れた漫画やアニメは体の中のあちこちに残ります。
そんなに熱心なファンではなかったですが、私も手塚治虫が亡くなった時は雑誌の特集号を書いましたよ。小学校の頃は、手塚治虫のテレビアニメは欠かさず観てましたから。
私にとっての鳥山明は「Dr.スランプ」止まりでしたから、「ドラゴンボール」はまったく知らない。「Dr.スランプ」の頃だったと思いますが、「鳥山明に会ったことのある人はほとんどいない」という話を聞いたことがあって、顔を見たのは今回の訃報が初めてです。則巻千兵衛と重なったためでしょうが、私の中では、もっとがっしりしたイメージだったのに、実際には全然違ってました。
そんな私でありますから、鳥山明の不法でさほどの衝撃を受けたわけではなかったのですが、抗争中のメキシコのギャング団が、哀悼のため、休戦に入ったという話で、その存在の大きさを知りました。
✳︎「少年ジャンプ」サイトより
訃報の直後に出てきた鳥山明への難癖
一通り、鳥山明の訃報についての動画を観たのですが、私が書き加えることは何もなく、ただひとつYouTuberの動画について書いておきたくなったことがありました。
以下。
このチャンネルはしばしばポリコレが表現を不自由にしている米国の現状を伝えてくれているので、時々観てます。でも、確か彼は在米ではなく、ヨーロッパ在住です。
ビバノンでも説明したことがあったと思いますが、亡くなった直後にその人物を批判的に書くことに私は抵抗があります。反論ができないし、その批判内容が繰り返されることがもうないので、死んでしまうと批判すること自体の動機が薄くなります。直後の方が読む人が多くても、自分の品位が落ちる気がするので、「亡くなってもこれは書いておきたい」と思っても、3ヶ月から半年は空けます。
しかし、私はやらないだけのことで、やりたい人はやればいい。そうは思うのですが、ここで紹介されているXのポストは不当です。叩かれて当然。
ミスター・ポポは差別表現か?
「ドラゴンボール」の登場人物であるミスター・ポポは、「日本のアニメは人種差別表現に満ちている」と主張する人たちが以前から好んで取り上げてました。
黒人でない者が肌を黒くする「ブラックフェイス」は、ミンストレル・ショーの歴史を考えると、慎重であるべきです。しかし、どういう状況下でもやってはいけないとすべきではないと考えます。これについては、「今も答えが出せない差別表現の難問—Die Antwoordのブラックフェイスと中国のブラックフェイス[上]」に書いた通り。
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