【無料記事】「人身売買」大国ニッポン 2 〜 法務省ガイドラインや国際法を無視した東京高裁判決
■10数秒で終わった裁判
記者の”見立て”なんてものは、ほとんど当てにならない。それでも私は、勝てるのではないかと信じていた。判決が言い渡される瞬間までは──。
タイ人の母親を持つ高校生ウォン・ウティナン君(16歳)が、入管から受けた強制退去処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は6日、一審東京地裁に続いて処分を適法と認め、請求を棄却した。
これまでの経緯は過去3回にわたり、以下でお伝えしている。
「人身売買」大国ニッポン 2 〜 日本で生まれ育った高校生に「帰れ」という司法
「人身売買」大国ニッポン 2 〜 法務省の基準を無視する司法と、人身取引被害者を救済しない「美しい国」に母子は引き裂かれた
「人身売買」大国ニッポン 2 〜 「僕は日本にいてはいけないのでしょうか」 在留特別許可を求めたウティナン君控訴審・意見陳述全文
開廷前、ウティナン君は裁判所地下の食堂でとんかつ定食を食べた。
「本当は食欲ないんです。無理にでも胃袋に何か詰め込んだほうがいいと思って」
胸焼けがするのか、苦しそうな表情を見せた。
食事を終えても落ち着かない。裁判所のロビーをあてもなくうろうろと歩く。
まだ時間があるのだから座ったら? そう話しかけると「じっとしていられないんです」と返ってきた。
一張羅のスーツ。胸ポケットの中には、徹夜して書き上げた”勝訴”の際に読み上げる声明文の原稿が入っている。
「もうこれで(裁判を)終わりにしたいです」
このまま日本に、大好きな甲府の街に住み続けることができるのか。そうした不安が16歳の少年を襲う。居ても立ってもいられないのだろう。ウティナン君は深呼吸を繰り返した。
裁判じたいは、わずか10数秒で終わった。
「判決を言い渡します。本件控訴を棄却する。以上です」
小林昭彦裁判長が発した言葉はそれだけだ。
要するに、ウティナン君がこのまま日本に住み続けることを否定したのだ。「出ていけ」と言っているに等しい。
傍聴席からは「ひどい!」「恥を知れ!」と怒りの声が飛んだ。
私は頭の中が真っ白になった。確率としての「負け」を想像しなかったわけではない。しかし、敗訴に至るストーリーを考えることはできなかった。漠然と、そして漫然に、勝つことだけを考えていた。
ウティナン君は両手を膝の上に置いたままの姿勢を崩さない。硬い表情でうつむいていた。
そして突然に立ち上がり、まるで逃げるように法廷から走り去ってしまった。
それからしばらくの間、彼は皆の前から姿を消した。
実は、ウティナン君は、男性トイレの個室にいた。隠れていた、というよりも、ひとりでいたかったのだろう。泣き顔をみられるのも嫌だった。
そんなとき、彼が唯一、声を聞きたかった相手はタイに帰国した母親のロンサーンさんしかいない。
自分が帰国すれば息子だけは助かるのだと信じて、9月に日本を去った。それまで、母子二人で隠れるように生きてきたのだ。いつも一緒だった。寄り添っていた。息子の姿が見えなくなるだけで大騒ぎする母親が、あえて別離の道を選んだ。入管や裁判所を納得させるためにはそれしかないと思ったのだ。
ウティナン君はロンサーンさんにLINE電話をかけた。
「大丈夫。これで終わったわけじゃないでしょう?」
ロンサーンさんはけっして動揺を見せることなく、いつもの優しい声でウティナン君を励ましたという。
それは母親としての気遣いだったのであろう。胸の中では悲しみが渦巻いていたに違いない。何のために帰国したのか。地裁判決では、母親が帰国するなど「状況の変化」があれば「再検討の余地はある」としていた。いったい、あの文言は何であったのか。何のために含みを持たせたのか。
30分も経ったころだろうか。裁判所ロビーで待っている支援者らの前に、ようやくウティナン君が姿を見せた。
「逃げ出すようなことをしてすみません」
彼はみなに頭を下げた。
「つらいです。今は何も考えることができません。皆さんがここに来てくれたことに感謝します。ありがとうございました」
涙声だった。
どう声をかけていいのかわからない。集まった記者たちも、さすがに今回ばかりは沈黙したままだ。
泣きじゃくっている少女がいた。
ウティナン君の中学校時代の同級生、海老根ミーシャさんだ。
「悔しい。悲しくてしかたない。こんなことって、ないよ」
ミーシャさんは父親がイラン人、母親が日本人。ウティナン君と同じように外国人の親を持つひとりとして、ずっと裁判を支援してきた。誰よりも心配してきた。
「わけがわからない。なぜ、こんな判決になったのか」
嗚咽が何度も込み上げて、それから先は言葉にならない。ミーシャさんは手で顔を覆いながら、裁判所を去っていった。