「笑い」という暴力 杉田水脈に見る「笑う側」の無責任さ
8月12日、第2次岸田改造内閣の副大臣と政務官が決まった。
はなから期待はしていなかったが、やはり政務官人事には驚かされた。いや、呆れた。
総務政務官に杉田水脈衆議院議員が起用されたのだ。
統一教会との関係が疑われているだけでなく、セクシャルマイノリティについて“子供を作らないから生産性がない”などと雑誌に寄稿するなど、ジェンダーをめぐる発言がたびたび問題になっている、あの杉田議員である。
さっそく各所からこの人事を非難する声があがったのも当然のことだろう。
これではっきりした。いままで幾度も差別発言を繰り返してきた杉田議員をあえて要職に起用することが、岸田政権の意思なのだ。
差別を許容する。その姿勢を見せつけた。
いま、世界中で差別事件に対するガバメントスピーチの必要性が問われている。
ヘイトスピーチ、ヘイトクライムが発生した場合、政府をはじめ公的な然るべき機関が即座に「反差別」の対抗言論を発表することは、社会を「壊さない」ためにも重要なことだ。それこそがヘイトスピーチ解消法が定めた理念のひとつではなかったのか。
だが、岸田政権はこれまでの政権同様、差別問題への危機感はまるでない。
派閥バランスを優先し、過去の差別発言に何ら反省も後悔も見せることのない人物に政務官のポストを与えたくらいなのだから、そもそも差別がもたらす被害に関心もないのだろう。
私はこれまで、杉田議員を批判する記事をいくつか書いてきた。
今回、2018年に『一冊の本』(朝日新聞出版)に書いた記事をここに再録する。
少し古い記事だが、ここで主張した「笑いの暴力」は、いまでも多くの差別の現場で目にすることができる。
私はその軽薄で下卑た笑いが、たまらなく嫌いだ。
差別は多くの場合、人を見下した「笑い」から始まる。
それが何より許せない。
(なお、登場人物の肩書などは取材、執筆当時のものである)
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