The Velvet Underground “Ocean” –神などいないのに、なぜこんな曲がかけるのか。なぜ神という概念が生まれたのか。これこそが音楽の本質だと思うのです
ニック・ケイブの「イントゥ・マイ・アームズ」で、この曲はザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「オーシャン」、ジョイ・デヴィジョンの「アトモスフィア」に匹敵する、神に包まれたような曲だと書きました。
神などいないのに、なぜこんな曲がかけるのかということを書きます。
というか、なぜ神という概念が生まれたのかの話ですよね。
これこそが音楽の本質だと思うのです。
これも前に書きましたが、ザ・ヴェルヴェッド・アンダーグラウントのルー・リードは「ヘロイン」で、俺はヘロインを打つと、神様の子供になったような気持ちになれると歌いました。
そりゃ、ヘロイン打ったら、神様の子供のようになった気分になれるわ、と思いながら、背徳な行いと神の存在を同等に語り、歌にするのは天才だなと思います。
「ヘロイン」って、ヘロインをやった感じを音で表現しようとしていて、笑っちゃうのです。
ヘロインやると、ラッシュっていうのがきまして、ジェット・コースターみたいなあの感じを楽しめるわけです。グワーって落ちていく感じ、怖いけど、なんかとんでもない快感、女性がセックス中に「死ぬー」「行くー」っていうのがよく分かります。
女性はヘロインの快感をオルガスムスの何百倍もいいというんですけど、僕はオルガスムスを得たことないので、あのジェットコースターで落ちていく感じを感じているんだと思うようにしています。
で、ジェットコースターはゆっくりと登っていて、「ふ〜」とメロウな安心感を楽しんだと思ったら、また急降下していく。「ヘロイン」という曲がゆっくりになったり、早くなったりしてるのはそういうことなのです。
ヘロインはやったらいけないので、ラッシュの感じを疑似体験したい方は、ジェット・コースターを試してみてください。もしくは女性のオルガスムスがどういうものかと知りたい方は。
「オーシャン」は「ヘロイン」よりも何歩も前進した曲です。ここでのルー・リードはヘロインなどなくても、オーシャン(海)を見ているだけで、神様と一体になれるような気がする、と歌っています。そして、バンドも早くなったり、遅くなったりギミックをすることなく、自然にそんなルー・リードの気持ちを音にするかのようなサウンドで答えています。
ロック史、一番の芸術な曲でしょうね。アートで一番大事なことって、生と死をどう表現するかなので、あーこの曲はそれをやっているなと思うのです。
たぶん、この曲を書いた時のルー・リードは儲からないバンドに疲れ、どうしていいか分からなくなっていたのでしょう。それで、彼は海でも見に来た。そして海を見ながら色んな気持ちが頭の中を過ぎります。
辞めたらいいだけなのだ。でも今までの苦労を考えたら、そんなに簡単に辞めれるものだろうか。バンドが失敗したのは他のメンバーが才能なかったからか、それとも俺がレイジー・サン(怠け者の息子)だからか、そんな色々な思いが頭の中を、心の中を、体中をかけめぐります。でも、寄せては返す波を見ていると、いつのまにか、自分のそんな考えも溶けてなくなっていくような気持ちになりました。そんな色んな思いなど、どうでもいい、自分が寄せては返す波と一体となったような気分となったという歌です。
電気グルーヴでいうと「虹」と同じですね。
人間がなぜ自然を神のように崇拝するかの理由です。人間は神になれないけど、自然とは一体となれる、そんなことを暗示する歌です。
ジョイ・デヴィジョンの「アトモスフィア」は下世話な曲です。でもなぜ神のような恍惚感が得られるのか、僕には分かりません。
ジョイ・デヴィジョンは、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが大好きでした。彼らの2コードを永遠とミニマルにタイトに演奏するスタイルが大好きでした。ドイツのクラウト・ロックもまさにそういう音楽ですね。
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