松沢呉一のビバノン・ライフ

 「深く踏み込む」と「浅くなぞる」の関係—メディアをめぐる不可解な現実[5]-(松沢呉一)

時制が「今現在」しかなくなる—メディアをめぐる不可解な現実[4]」の続きですが、「シーア「シャンデリア」が香港で合唱されるまで—メディアをめぐる不可解な現実[番外]」も参考にしてください。

 

 

 

SNSがフェイク情報を拡散するのは必然

 

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Facebookは、更新の通知をする際に、ついでにタイムラインを眺めるだけになっているのですが、たまに見るだけでも、「これはおかしくないか?」という投稿に気づいてしまって、校閲をやることになります。昨日もやってしまいました

一橋大学マンキューソ准教授の差別発言についてはチェックはしていたのですが、批判する側のこの文書はいただけない。一橋大学ハラスメント対策委員会から、教員の差別録音を公開したことがハラスメントに当たると訴えられました」というタイトルからは、「訴訟を起こされた」と受けとれます。「訴える」にはさまざまな意味があるとは言え、この文脈ではそう読めて、スラップ訴訟云々とコメントしている人がいました。

しかし、本文を読んでもそんなことはどこにも書かれておらず、一橋大学ハラスメント対策委員会からの通知は訴訟の通知ではなく、「教員の差別録音を公開したことがハラスメントに当たる」ともしていません。この話がどこから出てきたのか理解に苦しみます。

むしろこれはマンキューソ准教授の発言をハラスメントとした上で、事実関係を確認したい旨の通知と読めます。そうはっきり書いているわけでもないですが、一橋大学のハラスメント規定を見ると、その方が自然です。

通知を180度違う方向に誤読した上、「大学は悪者」という方向で話を膨らましてないか?

なんだったら、一橋大に問い合わせて確認してもいいですが、もしこれがたんなる説明不足によるものであるなら、十分な説明を加えて、どこがどうしてそう思えるのか、どこに訴訟の話があるのかわかるようにすべきです。大学の評判に関わることであり、「誤読+ふかし」だったなら、謝罪とともに撤回すべきだと思いますが、公開から2日経った今もそのままになってます。

どちらにせよ、筆者の軽卒さは責められるべきとして、焦っていい加減なことを書いてしまうことはありましょうよ。これが雑誌や本なら編集者や校閲がチェックして、このまま表に出ることはまずありませんが、インターネットでは表に出てしまいます。インターネットでも誰かにチェックしてもらうことは可能ですが、ネタが腐らないうちに早く出したくなってしまいます。

そして、いつものように半分以上の人はリンク先を読まずに「いいね!」をし、あるいはシェアをしていて、リンク先に飛んだ人の半分以上は最後まで読んでおらず、最後まで読んだ人の半分以上は中身を理解していないでしょう。杜撰さがわかりやすい文章なので、10人に1人くらいは「おかしい」と気づくでしょうが、気づいたところでたいていは面倒なのでスルーします。私は規定の類いが好物なので、一橋大学のハラスメント関係の規定も確認し、そんな手間をかけたがために「公開で指摘しておくか」になりますが、そんな人は極稀です。

「特別にこの件が」ではなく、SNSってそういうもん。事実確認をせず、検証する人もいないまま、情報が垂れ流される。この件で「いいね!」をしていた人たち、シェアしていた人たちがつねにいい加減で、文章を読む能力がないわけではなくて、SNSではそうなりやすいのです。

いくら「リンク先を確認してからシェアしよう」と呼びかけても無駄。リンク先を見ても、見たいものしか見ない。大多数の人は「内容を理解するより、理解したふりをして多数の情報を消費する」あるいは「中身はどうでもよく、共感を意思表示することで人とのつながりを強化する」が行動様式になっています。

だからフェイクはなくならず、フェイクによる被害もなくならない。RTだけでも名誉毀損になる判決が出ているのに、学習をしない。それを前提につきあうしかないメディアです。それを私は肯定しているのではなく、肯定しようと否定しようと、そういうものです。

 

 

「とことん踏み込む」と「浅くなぞる」の関係

 

vivanon_sentenceインターネットが広く薄くしか関心を抱けない人々を増産しているわけではなく、まったく逆の側面もあります。調べないではいられない人たちにとってはこれほど便利なツールはないわけで、「深く踏み込む」という行動もインターネットは促進しています。今までだったら大学内の各種規定を確認することは容易ではなかったのに、インターネットで瞬時に確認できますから、踏み込むことのハードルはうんと下がってます(私立の場合は公開されていない規定も多いですが)。

それと「薄くなぞる」とはどういう関係にあるのか。

これを考えるには音楽をサンプルにするとわかりやすい。わかりやすいとは言え、それなりに複雑なことが進行しています。

番外」で取り上げたシーアの「シャンデリア」のMVは、観てはいたのですが、シーアの分身であろう、あの女の子のダンスが強烈で、曲は覚えておらず、香港の中高生が何を合唱しているのかすぐにはわかりませんでした。

それでも「シャンデリア」は20億再生回数を超えている曲ですから、このくらい人気があると、私でもチェックはしているわけです。

 

 

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