松沢呉一のビバノン・ライフ

ヒュー・トマス著『ヒトラー検死報告』は今まででもっとも厄介なナチス本だった—ヒトラーはどのように死んだのか[1]-(松沢呉一)

 

 

暴力で相手を潰す手法はナチスの専売特許ではない

 

vivanon_sentence

独アンティファ内ネオナチ襲撃グループの裁判—首謀者と目されるのは女子学生リナ・E」を書く過程で読んだ記事のタイトルに「ナチスに対してナチスの手法か?(Mit Nazi-Methoden gegen Nazis?)」と題された記事がありました。

記事の中でそのような検討をしているわけではなく、キャッチーなタイトルとして使っているだけですけど、ネオナチを襲撃して重症を負わせたアンティファ・グループのやったことはナチスと同じというわけです。ドイツでもナチスについてろくに知識のない人たちはいますから、そういう人たちにとっては「なるほど」というタイトルなのでありましょう。

しかし、敵を暴力的に潰すのはナチスの専売特許ではなく、ナチス台頭期にはドイツ共産党もナチス襲撃を繰り返していて、ナチス側に死者が出たことはこれまで見てきた通り。

ナチスはその犠牲者たちを英雄に仕立てあげて、クエックスことヘルベルト・ノルクスは映画になりホルスト・ヴェッセルの書いた歌詞は党歌となりました。失ったものを百倍にして取り返すプロパガンダのテクはナチスの方が上手でした。

これに限らず、ナチスが共産党を凌駕していったのは、ただの暴力によるものではなく、広く大衆の支持を得るための戦略をしっかり立てていたことによります。のちにはゲッベルスの手腕が多いに貢献するわけですが、ヒトラー自身、初期から自覚的に大衆支持を狙っていたことは我が闘争』に書かれていた通りです。

また、企業を味方につけ、労働者たちにも夢を見せ、出産や育児の負担を軽減し、形だけとは言えども女性を起用し、婦人参政権を維持することで票を集めて、独裁への足がかりとしていきました。矯風会がフェミニズムに見えるアホのフェミニストたちにはナチスも疑いのないフェミニズム。

共産党、社会民主党、ユダヤ人、一部クリスチャン系の団体は強行に潰していきましたが、あとは味方につけていく。その点で左翼は負けていたのだと思います。

現在のアンティファも広い支持など考えておらず、対して極右の方が伝統的ドイツの心情に則った上で、移民に対するモヤモヤをすくい取っていく可能性がありそうで怖いです。

とくにコロナ禍によってドイツ的心情が高まっているのではないかとの読みのもと、それをうまく集めてきたメルケルがいなくなったあとが怖いと思っていたのですが、ドイツ総選挙の予想を見る限り、AfDが一挙に支持を集めるなんてことはなさそうです。

さて、数日後の投票結果やいかに。

※2021年9月9日付「mdr

 

 

面倒な本を読んでしまった

 

vivanon_sentenceナチス専門ウェブマガジンのはずなのに、しばらくナチス・シリーズを出していませんでした。これには事情があって、一ヶ月ほど前に読み始めた本についてなかなかまとめられない。ヒュー・トマス著『ヒトラー検死報告―法医学からみた死の真実』です。

最後まで読んだのですが、正確に理解できていないので、メモをしながら読み直しているのですが、まだ整理ができない。何を言いたいかの結論はもうわかっているのですが、それが正しいのかどうかを私が判断できるところまで理解が及んでいないのです。

ここまで書いてきたことでもわかるように、私はヒトラー個人に対する関心がさほど強くありません。それよりもヒトラーを信奉した人々の心理を知りたい。その信奉をどのように作り出していったのかも知りたい。そこを知ることは、この日本においても全体主義へ向かう人々を見抜くよすがになります。

あるいはナチスに抵抗した人々に興味がどうしても向かいます。こちらはどうすれば全体主義への抵抗の意思を維持できるのかの参考になります。

ざっくりとヒトラーがどういう人物であったのかは把握したので、ヒトラー個人に関する本はもういいと思っていたのですが、下半身だけは少し興味が残ってます。ヤリチン説にせよ、梅毒説にせよ。同性愛者説にせよ。同性愛者説ははなっから信憑性が薄いとして、梅毒だったらなにかしらの症状が出ていた可能性があるし、治療した医師がいるでしょうから、記録がどこかに残っているかもしれない。

という興味で『ヒトラー検死報告』を読み始めたら、下半身事情についての記述も多数あって、「そういうことだったのか!」と目的が満たされると同時に、別のところでもこの本に熱中してしまいました。「別のところ」こそがこの本の本題です。

 

 

next_vivanon

(残り 1819文字/全文: 3681文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ