「保守本流」重鎮が6月23日「慰霊の日」に語った反戦と沖縄への思い
昨年に続き、今年もまた「慰霊の日」に沖縄へ行くことはできなかった。残念だが仕方ない。5月末には那覇の書店が主催するトークイベントには出席したが、その直後に沖縄県に緊急事態宣言が発出された。無理して足を運び、沖縄の人たちに迷惑をかけるわけにはいかない。
沖縄戦の組織的戦闘が終結したといわれる6月23日は、犠牲となった人々を追悼し、平和を願う日である。この日、沖縄行きを断念した私は平河町(東京都千代田区)に向かった。
「慰霊の日」に会っておきたい人がいた。
元自民党幹事長で、2012年に政界を引退した古賀誠(80)だ。古賀も毎年、「慰霊の日」には沖縄へ飛んでいる。“沖縄通い“は20年を超えるはずだ。だが、コロナ禍の今年は、やはり沖縄行きをあきらめたという。
私は共同通信で連載しているコラム記事で沖縄をテーマに書くことになっていた。その取材もかねて、古賀に沖縄への思いをあらためて聞いてみることにした。
「なんだかねえ、心にぽっかりと穴が開いたような気持ちです」
沖縄行きを断念せざるを得なかった気持ちについて訊ねると、そんな言葉が返ってきた。
「慰霊の日に沖縄にいるってことが大事なんですよ。同じ思いを抱えた人と、同じ大気圏の中で過ごす。そして戦争が沖縄の何を犠牲にしたのか、何を奪ったのかを考える。6月23日は私にとってそんな日なんです」
古賀は「沖縄の犠牲を忘れないため」、コロナ禍以前は毎年、同日に沖縄を訪ねてきた。通い続けることで、反戦への思い入れはますます強くなってきたという。特に昨今は、沖縄を軽んじ、そこに住む人々の感情を逆なでするような物言いばかりが増えてきた。そのことに警戒感を持っている。
「たとえば政治の世界。戦争を知らない世代が増えていくのは仕方ない。だが、歴史を直視できない政治家が増えていくことには納得できない。いや、沖縄の人は到底、許容できないだろう。しかもだ、いつまでも戦争にこだわり、戦争放棄をうたった憲法を守れと主張する私なども、“古くさい考え方だ“と批判される。おかしな時代になった」
戦争、いや、平和へのこだわり──その原点は自身の「戦争体験」にある。
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