「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

怒りと「座り込み」が獲得したもの──そして歴史は動く

■人の怒りが歴史を変える

 海は色を変える。眠たげな11月の群青は陽が差すと磨きたてられ、透明な緑色に染まる。海面にサンゴの影が映る。

 辺野古の海は息をのむほどに美しい。

辺野古の海にサンゴが映える

 だが、沖合から大浦湾の方角へ視線を移すと、一気に風景が澱んだ。重機がせわしなく動き回る。土砂が高く積み上げられる。

 ただひたすら、破壊の限りを尽くしているようにも見えた。荒々しい暴力が静かな海を襲っている。

 抗議船に乗船して沖合から「現場」を見るのは3度目だった。目にするたび圧倒的な力による「現状変更」が進む。辺野古の風景を変えていく。


辺野古沖で進む埋め立て工事

 だが、それでも新基地建設にともなう工事の進捗は、全工程の2割にも達していない。

 新基地は海底で見つかった軟弱地盤を改良しなければ完成することはないが、その見通しはまるで立っていない。総工費は2014年時点で3500億円と示されたが、現在では9300億円と3倍近くにまで膨れ上がった。

 地元記者によれば「本当に基地はできるのか」と、新基地容認派の保守系県議からも疑問の声が漏れているという。

 実現性すら危ぶまれる新基地建設に、それでも政府は天井知らずのカネを注ぎ込む。

 いつ完成するのか、果たしてそれが本当に必要なのかもわからぬまま、惰性のように工事だけが進められる。

 沖縄県民は過去3回の知事選で、そして県民投票で、新基地建設に反対の意思を示してきたはずだ。

 それを無視した結果、「無用の長物」がつくられようとしているのではないか。海上に積み上げられた土砂の山が、そうした疑念だけを膨らませる。

 一方、工事車両の進入路となっているキャンプシュワブのゲート前では、その日も多くの人々が座り込みを続けていた。

 基地建設に反対する声が響く。反対の意思を示したプラカードが掲げられる。

 土砂搬入用の大型トラックが近づくと、警察官が一斉に「排除」に動く。座り込む人々の両手両足が持ち上げられる。じゃまな荷物を脇に放り投げるかのような「ごぼう抜き」が繰り返される。


沖縄県警の警察官に排除される座り込み参加者

 なぜ、そこまでして人々は辺野古の新基地建設に反対するのか。

 自然が壊される、海が形を変えていく、ただそれだけの理由ではないのだ。

 もはや幾度も語られ、どれだけ手垢のついた言葉であろうとも、私は繰り返さなければならない。

 たかだか国土の0.6%の面積しか持たぬこの小さな島に、全国の米軍専用施設の7割が集中しているのだ。しかも戦争の記憶が残るこの島に。

 もう二度と島を戦場にしたくないと願う人々の気持ちが、戦争を引き起こすために機能する基地を忌避するのは当然ではないか。

 だから──これ以上基地を増やさないでくれと主張しているのだ。

 私の目の前で、次々と座り込みに参加した人々が排除されていく。怒声が飛ぶ。悲鳴があがる。

 これを揶揄する者がいる。抵抗する姿が滑稽だと笑う者がいる。基地反対など無駄だと突き放す者がいる。半笑いで「座り込み」を蔑んだひろゆき(西村博之)氏などがその典型だろう。

 私はそうした態度が許せない。

 ただの傍観者でありながら、地域の苦悩を想像することもなく、基地を押し付けたまま、しかも自らの手を汚すことも、何の痛みも感じることもなく、他人事のように「抵抗」を嘲笑する者たちに私は憤りを感じる。

 辺野古を取材するたびに、私は幾度もそうした光景を目にしてきた。

 たとえばレイシスト集団「日本第一党」のメンバーは貸切バスで辺野古に押しかけ、抗議運動に参加している高齢者に「じじい、ばばあ」と悪罵を投げつけ、笑いながら「年寄りは臭い」とマイクでがなりたてた。

 抗議参加者を執拗にビデオカメラで追いかけまわし、笑いながら解説を加えた動画を流すYouTuberもいた。

 ひろゆき騒動後も、わざわざ辺野古に足を運び、座り込みを示す看板の前に立ってVサインで記念撮影する者も少なくない(こうした者たちの多くは撮影後は現地の人に話を聞くこともなく、すぐに立ち去ってしまう)。

 ちなみに今回私が辺野古を訪ねた前日には、抗議運動に参加する人々を脅迫するような文面の紙片が現地で見つかった。

 人間の怒りを、腹の底から沸き立つような怒りを、笑いと脅しで無効化させようとする者たちを、私は心底許せない。

 あえて述べたい。

 歴史を変えてきたのは人の怒りだ。

 あらゆる人権が、選挙権も女性の権利も働く者の権利も、激しい怒りによって獲得されたものだ。法律で定められた最低限の時給をもらえているのも、労働に休息が認められているのも、真剣に怒った人たちによって獲得された権利ではないか。1960年代の米国で公民権法を勝ち取ったのも、身を張って抗議した多くの人がいたからだ。笑われながら、ときに暴力による弾圧を受けながら、それでも人々は闘うことで、怒りを表現することで世の中を変えてきた。

 だから私は笑わない。それがどんなに滑稽に見えても、美しくなくとも、激しい怒りで巨大な権力に立ち向かっている人々を嘲笑しない。

 いまから述べる話は、この沖縄で必死に闘った人々が勝ち取った体験である。

 「座り込み」で社会を変えた一例について以下に紹介したい。      

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