久保憲司のロック・エンサイクロペディア

キング・クリムゾン『クリムゾン・キングの宮殿』 キング・クリムゾンを語ることがロックだった時代があったのです [全曲解説]

 

ザ・バンドの「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」がプログレッシブ・ロック、カンタベリー・ロックの門を開いたんじゃないかと書いたので、キング・クリムゾン『クリムゾン・キングの宮殿』の全曲解説やってみたいと思います。

一般的には『クリムゾン・キングの宮殿』でプログレッシブ・ロックの扉は大きく開かれたとされているので、プログレッシブ・ロックと言えば、間違いなくこのアルバムでしょう。

日本だと、ピンク・フロイドも入れて、キング・クリムゾン、イエスが三大プログレッシブ・ロック・バンドというイメージが強いかもしれません。海外には日本みたいに三大というキャッチ・コピーはないですが、キング・クリムゾン、イエス、ジェネシスで三大プログレッシブ・ロック・バンドということになってます。

ピンク・フロイドは、プログレッシブ・ロックというよりサイケデリックということ何だろうと思います。ピンク・フロイドは『狂気』からプログレッシブ・ロックという枠組みに入れられるとは思うのですが。

ピンク・フロイドと、キング・クリムゾン、イエス、ジェネシスの違いが何かというと、後者にはジャズの要素が強いということなんじゃないかと思っています。「イエス、ジェネシスがジャズの要素が強いか」と言われそうなんですが、深くツッこまいでください。

トラフィック、ブラインド・フェイスなどがプログレッシブと呼ばれずサイケデリックにいるのもそういうことなんだと思います。

ブラインド・フェイスには「俺はジャズだ」と言ってそうなドラムのジンジャー・ベイカーがいますけど、ブラインド・フェイスがプログレッシブととらわれずサイケデリックにとらわれるのと同じ理由だと思います。

誰もが「ジャズって何なん」と思っていた時代です。今もジャズって何なんと思っている時代なのかもしれませんが。

ジンジャー・ベイカーはずっとジャズになれなかったんですけど、逆にジェネシスのドラム、フィル・コリンズの方が、ブランドXという超重要フュージョン・バンドをやるんですからジェネシスの方がジャズだったのでしょう。

一曲目「21世紀のスキッツォイド・マン」の展開部分で半音づつ動く動く部分をジャズというのはどうかなと思うのです。

音的なことはおいといて、一時の日本のロックの精神を表していたのがこのアルバムです。

今回僕が言いたいのはこれです。ピンク・フロイドがプログレかサイケか、キング・クリムゾンこそがプログレを切り開いたバンド、体現したバンドなどかはどうでもいいのです。

どうでもよくないですけど、日本のロックとはキング・クリムゾンだったと言うことを僕は書きたいと思うのです。そして、それが諸悪の根元だったんじゃないかと。

もちろんキング・クリムゾンは全然悪くないです。勝手に日本の音楽ファンが誤解していただけです。

みなさん、知っていますか?ロッキング・オンの雑誌のキャッチコピーが21世紀のスキッツォイド・マガジンだったということを。雑誌名の上にドーンと21ST CENTURY SCHIZOID MAGAZINE (21世紀の精神異常雑誌)ってずーと書いてあったんです。気が狂っているでしょ。

 

 

「21世紀のスキッツォイド・マン」は、元々は「21世紀の精神異常者」と呼ばれていて、統合失調症という病気を精神異常と言うのはどうかということで変えられました。ロッキング・オンが自分達の雑誌のサブタイトルにあんなキャッチコピーをつけていたのは、多分マクルーハンが “現代というのは全員が軽い統合失調症を病んでいるような時代”と言ったりしてたからでしょう。でもそこにはキング・クリムゾンのことが大きかったでしょう。キング・クリムゾンを語ることがロックだった時代があったのです。

これがロックとは狂気を語ることだ、答えなんかないんだ、どっちもどっちという三段論法で、日本のロックの反政治性を生んでいったのだと思います。

でも、一曲目「21世紀のスキッツォイド・マン」はそんな狂気な歌ではないのです。完全に反ベトナム戦争の歌です。白人がアジアの民衆に無差別にナパーム弾でぶっ殺していくことへの怒りの歌です。

 

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tags: King Crimson

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