久保憲司のロック・エンサイクロペディア

ザ・モノクローム・セット『ストレンジ・ブティック』 もちろん世界を変えれなかったですけど、かっこいいことに間違いないのです

 

 


 

 

僕が子供の頃、ザ・フーに負けないくらい超個性を放っていたバンドがザ・モロクローム・セットでした。

ザ・フーと言えば、気が狂ったようなメンバー三人に、それをバカにするかのように微動だにしないベースのジョン・エントウィッスルという構図がかっこよかったのですが、ザ・モロクローム・セットもそんなバンドでした。しかもパンク時代に。

インドの王族の血を引く(ホンマか!)男前のビド、そして名前が何でレスター・スクウェア(日本でいうと歌舞伎町)なのか分かんないけど、ジョニー・マー以前にアルペジオなギターを弾いていました。

ドラムがどんなルックスだったか忘れてしまったのですが、彼がザ・モロクローム・セットのテーマ・ソングである「モロクローム・セット」のジャングル・ビートを叩くと、それは僕らの世代の「マイ・ジェネレーション」でした。

ザ・モロクローム・セットのライブには、いつも時代遅れのパンクスが一人か二人かいて(海外からのパンクスなのか、なんなのか分かんないすけど、今となっては「あんたどこから来たん」って話かけていたらよかった)、「モロクローム・セット」が始まると、気が狂ったようにポゴという、シド・ヴィシャスが発明されたとされるダンスをします。

 


 

 

アフリカのマサイ族のように飛び跳ねるダンスです。パンクは都会的なものと感じる人が多いと思いますが、ロンドンのパンクはモヒカンにしたり、アンチ資本主義というか、プリミティヴな方向に走っていったのです。ゴーギャンやピカソなんかがタヒチとかアフリカンに感化されたのと同じことが起こっていたのです。ヒッピーなんかよりもこのへんの感覚を上手く取り入れていたなと思います。

 

 

 

でそのパンクスはポゴをしながら、ツバを飛ばし始めるのです。そんな彼らを冷めた目つきでみつめるベースのアンディ・ウォーレンがかっこよかったのです。

ザ・スミスのメンバーは誰も言わないですけど、ザ・スミスの原型はザ・モロクローム・セットにありました。

 

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