松沢呉一のビバノン・ライフ

なぜ米国のマーチングバンドはほとんどが黒人なのか—マーチングバンドと黒人の歴史[上]-(松沢呉一)

オレンジの悪魔」の付録編として書いたのですが、京都橘高校はほとんど出てこないので、別建てにしました。カテゴリーは「オレンジの悪魔」のままにしておきます。

 

 

マーチングバンドは圧倒的に黒人演奏者が多い

 

vivanon_sentence「オレンジの悪魔」シリーズでは、一夜漬けで書くのはためらわれて飛ばしたテーマがあります。「京都橘高校吹奏楽部は100年前のニューヨーク・パリ・ベルリンを踏まえている—「オレンジの悪魔」にキャバレーを見た[12](最終回)」に、「「マーチングバンドと人種」「スウィングと人種」というテーマも取り上げようと思ったのですが、長くなるのと、私もよくわからんのでやめておきました」と書いた通りです。

しかし、「オレンジの悪魔」シリーズが驚くほどアクセスが多かったので、ついでにこれも出しておくか。その後も米国のサイトをさまざま読んでいて、一夜漬けの域は脱したかと思いますが、一夜漬けに毛が生えた程度であり、正確なことはより詳しく書かれたサイトを参照してください(だいたいどれも英文ですが)。

日本のみならず、米国のマーチングバンドの映像をよく観ているため、YouTubeが新作マーチング動画をよくプッシュしてきます。

これもちょっと前にブッシュされました。

 

 

アルコーン・ステートSOD。ソフトオンデマンドかと思いました。フルネームはthe Alcorn State University “Sounds of Dyn-O-Mite” Marching Bandです。

アメフトの試合での入場シーンです。先頭の 4 人の動きがいいですね。

7分30秒あたりから登場するのがゴールデン・ガールズで、この大学ではチアガールは別団体になっているのかも。重量級ですが、動きが鋭くて。一人一人足上げをやって、それに合わせて歓声が上がってます。ラインダンス同様、足上げは盛り上がるのです。

このバンドもそうであるように、米国のマーチングバンドを見ていると気づくのは圧倒的に黒人が多いことです。「オレンジの悪魔」シリーズを書いていく過程で、黒人校が今も米国には存在することを知って驚きましたが、アルコーン大学もその一つ。ミシシッピー州立の大学であり、1881年に黒人の男のみの大学としてスタートし、1895年から女生徒も受け入れるようになります。現在も黒人大学という位置づけですが、黒人以外の入学希望があった場合に拒否はしない、あるいはできないようで、年間1パーセント程度は白人やヒスパニックが入学しています。

そういった学校はもちろんのこと、そうじゃなくてもマーチングバンドは黒人が多い。これはマーチングバンド発展の歴史と深く関わっています。

それをここでは見ていきます。

 

 

南北戦争とマーチングバンド

 

vivanon_sentenceすでに書いたように、マーチングバンドの直接的なルーツは軍楽隊です。軍楽隊の原型が出来上がっていく南北戦争(1861〜1865)の前までにはアフリカ大陸から連れて来られた黒人奴隷たちが、自分たちのルーツを反映させた打楽器グループを作り、また、聖歌と融合させた黒人音楽を発展させていましたが、大きなきっかけとなったのはやはり南北戦争であり、南軍、北軍ともに兵士の士気を高めるための軍楽隊を必要として、そこに黒人たちが起用されていきます。

黒人が写っている写真はあまり残っていないようですが、以下では多数の黒人を確認できます。

 

Civil War Military Bands Their Purpose and Composition

 

左端がおそらくリーダーで、彼以外は全員黒人だと思われます。

こういった軍楽隊は決して珍しくなかったはずなのですが、南北戦争の頃、日本で言えば江戸時代の末期であり、写真機はまだ超高級品でした。写真技師を呼んで撮ってもらうには今で言えば何百ドルもかかったはずですから、気楽に撮れるものではなくて、黒人が被写体になれる機会は少なかったのだろうと思われます。

 

 

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