松沢呉一のビバノン・ライフ

フランス買春者処罰法案とそれに対する研究者・フェミニスト・メディアの批判—仁藤夢乃の発言は信用できない[資料編6]-(松沢呉一)

買春者処罰を実現させるための報告書3334号のズル—仁藤夢乃の発言は信用できない[資料編5]」の続きです。

 

 

買春者処罰の法案提出とその批判

 

vivanon_sentence

2011年12月7日、買春者を罰し、人身売買やポン引きの「被害者」の保護強化を目的とした法案が提出されます。

社会党の大統領フランソワ・オランド(François Gérard Georges Nicolas Hollande)は賛成しますが、左翼内でも意見は割れて、反資本主義新党(NPA/Nouveau Parti anticapitaliste))は客への罰則に反対します。彼らは、こんなことをしたところで売買春がなくなるはずがなく、売春婦たちを困窮させるだけであり、道徳強化の法でしかないと喝破します。

反資本主義新党は2009年に革命的共産主義者同盟 (LCR)、共産党、社会党を離脱した人々を中心に発足した党で、トロツキズムの影響下にあるようなので、日本で言えば新左翼。当然のことながら、決して支持者は多くなく、地方議員を数名擁しているだけのよう。

日本ではぱっぷすに入り込んでいる新左翼団体第四インターはおそらく買春者処罰に賛成でしょう。

STRASSACT UP~Parisがこれに反対したのは言うまでもなく、多くのメディアもこれに疑問を投げかけました。スウェーデンの前例がありますから、セックスワーカー自身を追い込むことになるのは火を見るより明らかでした。

※2011年12月8日付「FRANCE24」 スウェーデンの例、また、ドイツ、オランダの例を出し、STRASSの意見も紹介して、買春者処罰はセックスワーカーの危険を増すとしています。

 

 

買春者処罰に対する反対声明のすごさ

 

 

vivanon_sentence大きな話題となったのは、 2012年、フランスでは名前をよく知られる哲学、歴史、政治、文学などの研究者や作家、映画監督たちが雑誌で反対声明を出したことです。

自動翻訳なので、意味がわかりにくいところがありますが、全文を出します。

 

2012年8月22日付「L’Obs

 

「もし女性の権利大臣が、マフィアのネットワークによる女性の奴隷制に終止符を打つ意向を発表していたら、男女問わず誰もが彼女のイニシアチブを称賛するだろう。遂行するのが難しいこの戦争は、普遍的な義務である」

この件は、とりわけ、警察の増員、国際協力の改善、冷酷な司法と再訓練、そしてポン引きを通報した少女たちへの真の保護と、効果的な再訓練の可能性を組み合わせたものを暗示している。

しかし、性奴隷制度に終止符を打つという口実のもとで、売春を最終的に廃止するという目的は、別の性質のものである。 これはもはや普遍的な命令ではなく、以下の仮定を前提とするイデオロギーの偏見である。

1) 代償を伴うセクシュアリティは女性の尊厳に対する攻撃である。

2) 売春婦は全員被害者であり、その客は全員ろくでなしである。

これらの仮定には大いに議論の余地がある。 第三者から強制されていない売春婦たちが主張し、私たちが聞くことを拒否しているように、女性の尊厳は性行為の基準に依存するものではない。 すべての女性が自分の体と同じ関係を持っているわけではなく、乱交は自由な選択である可能性があることを認めたほうがよいだろう。 女性が売春に従事する場合、必ずしも男性抑圧の犠牲者になるわけではない。売春に時々従事するため、または別の活動ではなくフルタイムでこの活動を続けることを選択したのだ。 最後に、人々をうんざりさせる危険性があるが、売春婦に頻繁に通う男性たちは、必ずしも女性を使い捨ての物のように扱う恐ろしい略奪者やセックスマニアではない。 不思議なことに、同性愛者や異性愛者の売春婦(夫)や、女性による有料セックスに対する新たな「需要」については誰も言及していない。

現実には、奴隷制度とは異なり、売春の「廃止」は夢物語である。 人間のセクシュアリティは社会によって異なる。 そして、同じ社会でも時代や階級によって変化する。 これは、彼女が柔らかいワックスのように、完全に規制されたセクシュアリティのユートピアに屈するだろうと想像する理由にはならない。 顧客を罰することは売春の抑制にはつながらない。 スウェーデンの例が証明しているように、コールガールもインターネットネットワークも影響を受けない。 まず最初に苦しむのはセックス・プロレタリアであり、彼らはこれまで以上にポン引きの影響を受けることになるだろう。 後者はこの状況を利用し、公権力による弾圧の最初の標的となるべき者たちである。 心配はいらない。最も好意的な顧客には常に、その欲求を満たすための慎重な方法が提供される。

人間性の抽象的な概念の名の下に、「奴隷制度廃止論者」はフランス社会に自分たちのイデオロギー的選択を押し付けようとしている。 しかし、誰がこの極めて私的な領域で裁判官になれるだろうか?  すべての大人は自分の体で何をしたいか、何をしたくないかについて自由でなければならない。 不道徳であると判断したものを違法とすることは、善への大きな一歩ではなく、専制的な動きにすぎない。 同意した成人の性行為に政治権力が介入する必要はない。 優先すべきことは、人身売買業者との戦いを国家的大義とし、それにリソースを投入することである。 犯罪があり、挑戦があるからだ。 顧客を訴えるということは、自分に演技しているかのような錯覚を安価に与えることと同じだ。 それは、消費の犯罪化からあらゆるものを期待するという禁止主義者の誘惑に負けているのだ。 それは最終的には見たくないものを視界から追い出し、善意で舗装された地獄を生み出すだろう。

 

ざっくりまとめると、「もしこの法案が、本当に奴隷制を廃止するものであれば誰も反対はしないが、現実にはイデオロギーに基づく偏見を国民に押し付けるものでしかなく、国民の自由を侵害する」といったところになりましょう。

この 声明では買春者処罰は警察の増員を伴うことを見据えています。これについては私も指摘してきた通りです。そうしなければ実効性はなく、実効性があるようにするためには警察官を増やすしかなく、国民の自由を侵害する警察国家を求めることになります。

 

 

next_vivanon

(残り 1979文字/全文: 4565文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ