人間は誰より自分が大事だが、他人の存在を意識できる生き物—なぜ車椅子インフルエンサーは車椅子クレーマーになったのか[追記]-(松沢呉一)
「中嶋涼子とその擁護者が広げてきたこと—なぜ車椅子インフルエンサーは車椅子クレーマーになったのか[後編]」の続きみたいなもんです。
ネコに声を掛けられた
数日前の夕方。
桜を見に行くために神田川に向かって歩いていました。目黒川に話題を持っていかれがちですが、川沿いの桜並木としては神田川も負けてません。とくに新宿区内。シートを敷いて花見をするような場所はあんまりないですが、ベンチが設置された場所はありますので、軽く飲食もできます。
でも、神田川の桜は、ライトアップされた夜桜を眺めながらそぞろ歩くのがベストです。正装して花を眺めるだけの昔の花見です。
神田川の手前の公園に差し掛かかったところで、茂みからネコに呼び止められました。猫は私をジッと見てます。周りには誰もいませんでしたから、私に声を掛けたとしか思えません。
「神田川まで行かなくても、この公園に桜はあるぜよ」と教えてくれたのか。友だちになりたいみたいだったので、手を伸ばしました。猫はこちらを見たまま逃げず、触ってもよさそうです。
しかし、治りかけとは言え、私の手の甲には火傷の痕が生々しく残っていて、この手で触ると病原菌が入ってきそうです。それに気づいて、慌てて手を引っ込めました。
「ニャー」
猫がまた鳴きました。「なんだよ、触んないのかよ」って感じ。
もっとかわいい顔していたら、かまわず触ったかもしれないけど、この猫で破傷風になるのは嫌だなと思わせる憎たらしい顔をしています。人間も猫も見た目が大事。
後ろ髪を引かれながら、私はその場を去りました。耳が切られていなかったので、最近捨てられたのかもしれず、助けを求めていたのかな。火傷が完治したらまた行ってみるかな。
✳︎新宿区のサイトより、区がライトアップをしている場所のマップ。4月8日まで。ライトアップしていないところにも桜は咲いてます。
初めてハクビシンを撫でた夜
半年くらい前のこと。
深夜、住宅街を歩いていたら、ハクビシンが道路を横切りました。親のあとを子ども二匹が続きます。一匹の子どもがこちらに気づいて、歩みを止めました。
夜行性なので、見ない人はまったく見ないようですが、深夜徘徊する私はハクビシンをよく見かけます。一晩で3回見たこともありますが、あんな小さいのは初めて見ました。本日が初めての外出か。そのため、人間をまだ怖がっていないのかもしれず、近づいても逃げません。あるいは初めて人間を見て、腰を抜かして動けなくなったか。
親と子どもの一匹が民家の隙間に消えても、そいつだけは道路に残っています。親は心配になって戻ってきてもいいのに、その気配はなし。
ハクビシンは凶暴ですが、子どもはかわいいし、警戒心が薄いみたいで、子どもの頃から飼うと懐くようです。
かわええ。
こういう動画を何度か観ていたので、子どもだったら大丈夫かと背中を撫でたら、抵抗はせず、かと言って喜ぶでもなく、またゆっくり歩き始めて、家族の後を追いました。ハクビシンを触ったのはこれが初めてでした。
一時、ハクビシンはSARSを媒介すると言われてましたが、冤罪でした。だからと言って触っていいわけではなくて、あのハクビシンは人間の匂いがついたために、あのあと親に噛み殺されたかもしれない。悪いことをしたかもしれないけど、ハクビシンはいっぱいいるし、果樹を食い荒らす害獣なので、まあいいか。
動物との接点において、多くの場合、人間は動物を感染症や寄生虫、ノミ、シラミをもたらす存在として捉えます。被害者としての人間の捉え方。
しかし、人間が動物に災厄をもたらすことも多くて、毛が抜けたタヌキも人やペットから皮膚病に感染するんじゃなかったでしたっけ。加害者としての人間。
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