ピンク・フロイド『狂気』 現代人の不安、恐怖、疎外感。なぜ人はこのアルバムにひかれたのか [全曲解説(前編)]
ピンク・フロイドの『ウォール』について書いた時に、彼らの転機となった『狂気』はバカにされるアルバムだったと書きました。
バカってひどい言い方ですが、ヒッピーが窓を閉めて、お香を炊いて聴くアルバムということです。僕も子供の頃そうやって聴いてました。何時間でもトリップ出来ました。いや、なんとかトリップしようと必死でした。
大人になってLSDをやって、聴いたり、ライブを観に行ったりしてました。ピンク・フロイドって、欧米ではLSDデビューするためのバンドでした。ハッピー・マンデーズのショーン・ライダーなど、みんなそんな感じで通過儀礼をするわけです。「飛行機がステージにぶつかったり、ブタが飛んだりすげぇんだよ」という感じです。イギリスのヤンキーは高尚だなと思いながら、お前らピンク・フロイドの歌詞わかるのかと思ってました。フットボール・フーリガンがLSDやってピンク・フロイドのライブに行ってたんだから笑いますよね。そのドラッグがエクスタシーに変わって、80年代後半からミレニアムに向けてのヤング・カルチャーの基本となったのだから面白いですよね。
グレイトフル・デッドのコンサートもそういう通過儀礼のためにあるんですが、ピンク・フロイドのとはちょっと違うんです。
グレイトフル・デッドのコンサートはもう体験出来なくなったですけど、フィッシュなどでその代用が出来ます。フィッシュのコンサートに行ったらびっくりすると思いますけど、音が小さいんです。全ての音を綺麗に聴かせるためなんですが、きっと飛んでいるとそういうのが気持ちいいからなんだろう思います。
ヘヴィなベースがズンと体を刺激して、頭の上を飛行機が飛んだり、火が吹いたりする(火はふかなかったかな)ピンク・フロイドのライブに興奮する客とは違うのです。フジロックのフィールド・オブ・ヘヴンの人たちとは違うわけです。
イギリスぽいのかな、ひと昔前のサイケなのか、なんなのか分かりませんが、ピンク・フロイドってそういうことをするためのバンドだからバカだなと書いたわけです。
こんな風にしてLSDしながらピンク・フロイドを聴いていてもダメだなとやめるわけです。
後LSDを初めてやる時に見る映画の代表だと『2001年 宇宙の旅』とか『コヤニスカッツィ』とかがあります。
ロンドンだと今はコンサート会場になっている元猿の動物園のスカラという映画館があったんですけど、ここの映画館はそういう人のためにこういう映画をいつも上演してくれてました。だから日本から来た友達が「アシッドやりたい」なんていうと、「仕方がないな」とスカラに行ったりしてました。そしてその後は公園でのんびりしたりするんです。ルー・リードの「パーフェクト・ディ」の時に書きましたが、まさにあんな感じです。
日本だとディズニーランドに行くのがいいですよ。エレクトリカル・パレード、8時の花火、スペース・マウンテン、カリブの海賊、イッツ・ア・スモールワールド、完全にLSDをやる人のためにあるとしか思えないです。夕方から入れるチケットはお安いですからLSDしに行くにはすごくいいですよ。絶対アメリカとかのディズニーのお客の2割くらいはそんな奴らなんじゃないでしょうかね。
『イージー・ライダー』で主人公が「LSDを決めてニューオリンズのマルディグラを楽しむのが夢」と言ってたのと同じです。グラストンベリーとかもそんなためにあるんでしょう。今や大学生の通過儀礼の場所になった感じがします。
そうやって色んなことを経験した子らがいい世の中を作るんです。スティーヴ・ジョブスがiPhoneを作ったように。日本も早くそういう世の中にならないですかね。フジロックにそんな人間ばかり集まって、その中に人間から、そごい商品を作るような奴が現れるとか期待します。
いつの日か日本でも普通にドラッグをやれる日が来ることを心から願ってます。
今はSNSでごちゃごちゃ言っているだけですよね。誰もがヴァーチャルの世界だけで生きているような気がします。
そんな中だからか、なぜかピンク・フロイドを聴きたいなと思ってしまっています。子供の時にトリップしたいなと思ったように、ひとりで、ヘッドフォンして、大音量で聴きたい。
今のコロナ時代が僕が子供の頃に似ているからなでしょうね。コロナでなんも出来ないから(別にしようと思えばなんでも出来るんですけど、周りから何もするな、何もするなという声に脅されているようですよね)あの頃の僕はピンク・フロイドとかレッド・ツェッペリンやキング・クリムゾンやELPやディープ・パープルを聴きながら、ジャケットをいつまで眺めることくらいしか出来なかった。
後不思議なのはそういう風に思う人が多いのか、なんか今生まれている音楽も『狂気』のようなメローな音楽が多いですよね。
一番最初にこれをやったのって『OKコンピューター』の頃のレディオヘッドだったと思います。『OKコンピューター』から時代は変わったような気がします。
ミュート・レコードのダニエル・ミラーがカンを紹介する時に、「サイケデリック・バンドがクラシックやジャズをやったりしてしょうもないプログレッシブ・バンドになった時、気の狂ったようなことをしてたのはカンだった」と紹介していて、パンクが生まれる前のプログレッシブ・バンドというのはそういうバンドだったなということを思い出しました。
その頃のイギリス人たちは高尚なプログレッシブ・バンドをプログ(雰囲気としてカエルみたいな言い方ですかね)と呼んでバカにしていたのです。尊敬している時はアート・ロックなんて言ってましたけどね。
バカにされるようになったからパブ・ロック、パンクというのが登場したのです。セックス・ピストルズのジョン・ライドンがピンク・フロイドのバンドTシャツにアイ・ヘイトと書き足して着ていたのは有名な話です。これは洒落がきいていていいですね。
『狂気』は他のプログレバンド(日本でバカにする時の言い方はこの感じですね)クラシックやジャズをやったアルバムではないです。ピンク・フロイドはそんなことは23分41秒に及ぶ「アトム・ハート・マザー」でやってます。これも今聴くとすごいです。50人編成のオーケストラに負けない壮大な構想曲を4人のメンバーと数少ないサポートメンバーでやっています。これを聴くと、新しいクラッシックをやろうとしていたのが分かります。
ピンク・フロイドの魅力って、オーケストラの迫力を四人でやることにあったんです。
もう今はそんなオーケストラに対抗しようなんて思う人はいないですよね。くるりの岸田くんくらいですよ、今も闘志を燃やしているのは。ピンク・フロイドの頃はまだオーケストラに勝とうとかそんな雰囲気があったんです。あのディープ・パープルがロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラと一緒にやっていたなんて想像がつかないでしょう。
そしてサイケデリックの頂点は23分32秒に及ぶ「エコーズ」だったなとあらためて思うのです。確かにカンの「ファーザー・キャノット・イエル」に比べると呪術的な高揚感は弱いかもしれませんが、歴史を振り返ると「エコーズ」はサイケデリックと呼ばれるものの金字塔だったと思うのです。「エコーズ」「アトム・ハート・マザー」という流れはビートルズから始まったポップ革命の頂点だったと思うのです。
彼らはこんな長い曲で、孤独感など表現してきました。これはクラシックにはなかった手法かもしれません。クラシック全盛の頃には孤独という感覚はなかったのかもしれません。孤独って現代が生んだ概念かもしれませんね。
しかし『狂気』はそんな長い音の道のりじゃなく、彼らがもう一つ目指していた目標ビートルズのように短いポップスとして、いや音と音の間だけで孤独感、絶望を見事に表現したと思うのです。
1曲目鼓動から始まる「スピーク・トゥ・ミー」は序曲に相応しい曲で、このアルバムの全ての曲に使われた音の素材が使われています。
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