松沢呉一のビバノン・ライフ

虚言で18年間シャルル・ド・ゴール空港に居座り、スピルバーグの映画にまでなったイラン人が空港で死去—その後のアンチ・ヒジャブ・プロテスト-(松沢呉一)

 

アンチ・ヒジャブ・プロテストと関係はないけれど

 

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オフシャンニコワさんを受け入れる国があるのは当然として—ヨーロッパでも亡命は簡単ではない」に書いたように、亡命が認められるのは簡単ではないという話の実例かと思ったのですが、全然違ってました。

 

 

 

 

メフラン・カリミ・ナセリという人物のことはうっすらと知っていただけだったのですが、この報道を見て、「ん?」と思いました。イラン国籍の人物が、反体制運動に関わったからと言って、国外退去になることがありましょうか。事情次第ではあり得るかもしれないので、念のため、調べてみました。

2004年11月24日付「 The Guardian」に、長期間、この人物を取材していたポール・バチェラー(映像ディレクターらしい)が手記を書いていて、「精神的に病気だった」としています。まだまだあるのでしょうが、精神的病気だったことはこの手記だけでも十分に納得できます。

彼は自分の母親はスコットランド人だと言っていたのですが、これはまったくのウソであることは、家族への取材で明らかになっています。これ以外にも、「自分はスウェーデン人である」「自分はアメリカ人である」といったウソのヴァージョンがあったそうです。すぐにウソだとバレることを言うのは病気による虚言の特徴です。

学生運動をやっていたことだけが事実で、「逮捕されて数ヶ月にわたって拷問を受け、その果てに国外退去になった」と本人が語る物語もまったくのウソだったようです。

彼は自らイランを出て、ベルギーや西ドイツ、フランスに難民申請を出しますが、却下されています。「国外退去になった」という点で係官は疑問を抱き、退去命令の文書もないとなれば却下でしょう。面接もあるはずで、会話の内容で、「この人はおかしい」と気づかれたかもしれない。

続いてイギリスに行こうとしますが、ヒースロー空港で入国を拒否されて、ベルギーに行き、この時は難民として受け入れられます。係官はウソを見抜けなかったのか、温情か。

6年間ベルギーで暮らしますが、やはりイギリスに行きたいというので、イギリスに向かい、途中で盗難に遭って、身分証を失くして、またもヒースロー空港で追い返されます。ベルギーの法律では自発的にベルギーを離れた難民には再入国が許可されず、フランスにも拒否されて、シャルル・ド・ゴール空港に居着いてしまいます。Wikipediaによると、身分証の盗難という話も怪しいらしい。

 

 

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