松沢呉一のビバノン・ライフ

まだ「聲の形」で泣ける自信があるーーー公開から6年経って観たアニメ「聲の形」[解答編1]-(松沢呉一)

歳をとると涙もろくなるのはなぜか—公開から6年経って観たアニメ「聲の形」[1]」の続きです。

 

 

人に会うたび「聲の形」を推奨し続けている

 

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数日前に張由紀夫と中川えりなと3人で飯を食って、その後タックスノットへ行きました。2人に会ったのは宮台真司と話した日以来です(張君はその場にはおらず、その後タックスノットで会った)。半年前のこと。

ひさびさだったので、私は「聲の形」を観てずっと泣いていた話をしたところ、2人とも「聲の形」を観てないというので、店のモニターに予告編を流しました。

 

 

これを観ただけで泣きそうになりました。一人だったら確実に涙をこぼしたでしょう。やっぱり「聲の形」は異常。すぐ泣く私が異常か。

音楽はエンドロールで流れるaikoより、ラストシーンで流れる牛尾憲輔の「Lit」の方が泣けます。あの曲も異常。

 

 

優里「レオ」と「聲の形」の涙の質

 

vivanon_sentenceここから泣ける曲シリーズになって、優里の「レオ」を流しました。

 

 

ああ見えて優里ってマゾだべ。最後のフレーズがそれを物語ります。

そこにはシンクロするのですが、いかにも「泣けるだろ」という作りの曲とMVなので、まんまとそこに乗るのは悔しい。それでも涙腺が老化しているので、最初にこのMVを観た時は泣きましたが、この曲で泣いたのは最初にこの時だけです。一回こっきり。これを観たあと、ペットについて考えを巡らすこともない。

その点、「聲の形」は人も犬も死なない。恋愛が成就したり、破綻したりもしない。それでもとめどもなく泣けるし、何日間もこれについて考え続けました。改めて「聲の形」は奇跡的な作品だと思いました。

 

 

ペットショップで生き物を買うこと

 

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中川えりなは「レオ」が始まってすぐにこう言いました。

「ペットショップで買ってんだ。ダメだよね」

私もそこに引っかかりました。あんだけペットショップが殺処分する犬猫を生み出していると指摘されているのに、まだ買うか。

「でも、ペットショップにはいつも人がいっぱいだよね」と張君。

とくにカップルと親子連れ。どっちもカッコつけるわけですよ。「あの犬欲しい」「よし買ってやるよ」と。高い金を出して買うことに意義が生じる場です。

 

 

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