「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

続・船本洲治と華青闘告発━━ 「虐殺」調査に奔走する在日中国人の半生

 前回(「船本洲治と華青闘告発」)は、日本の新左翼陣営に衝撃を与えた華青闘の主張について最後に触れた。その続きである。

■震災虐殺の犠牲者たち

 「安息吧(アンシーバ」

 川沿いの遊歩道に林伯耀(りん・はくよう 84歳)さんの声が響いた。日本語で「安らかに」を意味する言葉だ。

 林さんは手を合わせ、目を閉じた。私もそれに倣う。

 「残念だねえ」

 今度は日本語だった。

 林さんは川面に顔を向け、いま、その場にいることのない人物にゆっくり話しかける。ていねいに、慎重に。まるで弦楽器から刻まれる小さな旋律のように優しい声だった。

 「あなたは、まだ30歳にも満たない年齢だった。なのに、ここで顔も手足も切り刻まれ、川に捨てられた。胸が痛いです。あなたはきっと、まだ目を閉じることもできず、この空の上をさまよっているのだろうね。そして、この国を、社会を、見ているんだ」

 そして、林さんはその人の名を中国発音で叫んだ。

 「王希天(ワン・シーティエン)!」

 関東大震災の直後に虐殺された中国人だ。日本では「おう・きてん」と呼称されることが多い。

 林さんの案内で小松川(東京都江戸川区)と亀戸(江東区)を結ぶ逆井橋を訪ねたのは昨年9月のことだった。逆井橋は地震直後、社会活動家だった王希天が日本軍人に殺害された場所である。王希天は、低賃金重労働を課せられ日本社会から差別されていた在日中国人労働者の救済運動に奔走していた。中国人労働者から頼りにされる一方、治安機関や経営者からは目の敵にされていた。つまり、王は日本社会に遭って危険人物だとみなされていた。軍部は、震災直後の混乱を利用して、邪魔者である王を殺したのだ。林さんが述べたように手足も顔も刀で刻まれ、身元不明の死体として処理しようとした。卑劣で残忍な虐殺である。

 神戸に住む在日中国人2世の林さんは、上京するたびにこの場所に足を運び、亡くなった同胞を追悼する。ひとりの中国人として、そして社会運動にかかわる者として、林さんは震災で虐殺された中国人の来歴を追っている。

 震災直後の虐殺事件では、多くの中国人が犠牲となった。私は同事件の取材過程で林さんと知り合った。

 林さんは関東大震災直後の中国人虐殺について調査を重ねている。文献を集め、精査し、さらに「現場」を歩き回って、真相究明に努めてきた。在野の研究者だ。

 震災虐殺の被害者は朝鮮人だけではない。中国人が、沖縄をはじめとあする地方出身者が、障がい者が、差別と排他の空気の中で犠牲となった。林さんは同胞が虐殺された事実を精力的な調査で掘り起こすと同時に、日本社会にその犯罪を突き付けてきた。

 その林さんが、意外な形で「華青闘告発」と繋がっていることを私が知ったのは、実は最近の事である。

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